故郷に奇跡を起こした「雪塩」誕生秘話、コラボ商品でもヒットを連発 – ライブドアニュース

2018年1月31日 4時30分 まぐまぐニュース

地方自治体が頭を抱える「過疎問題」。しかし、明確な解決の糸口は今も見い出せていません。そんな中、とある親子の「郷土愛」が人口減に悩んでいた故郷を救い、空前の「塩ブーム」を巻き起こしています。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)」は、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。観光事業の失敗で借金3000万円、それでも故郷の宮古島を救うためのチャレンジを続けた親子が手にした奇跡とは?

「第2次塩ブーム」到来~客殺到!日本初の専門店

週末になると長い行列ができる東京・三鷹市の「トーホーベーカリー」。客のお目当ては、焼きあがった熱々もっちりの「GOLD塩バターロール」(110円)だ。

おいしさを生むのはこだわりの塩。使っているのは「オーストラリア産天日塩」。オーストラリアの海水を太陽光で結晶化させたまろやかな旨味を持つ塩だ。ところが、それをしっかりと生地に練り込むと、今度はその上に全く別の塩をまぶし始めた。粒が粗くグレーがかった「フランス産ゲランドの塩」。フランス西海岸で1000年前から作られる歴史ある塩だ。そんな2種類の塩を組み合わせることで、塩バターロールは1日1000個を売る看板商品になった。

「塩の中にも味わいや甘さがある。特徴をうまく生かすことがすごく大事なんです」(店長・松井成和さん)

実は数年前の塩麹などのブームに続き、今、まさに「第2次塩ブーム」が起きている。スーパーには塩味のドレッシング、塩のキャンディ、さらに塩を使った飲み物まで、あらゆるジャンルで塩商品が溢れている。

そんな空前の塩ブームを支えているのが、東京・墨田区の「東京ソラマチ」でひときわ客を集める「塩屋(まーすやー)」。日本初の塩専門店だ。

店内で客が味わっているのは塩。実に360種類を取り扱っている。日本各地から集められた塩はもちろん、海外の珍しい塩も。例えばペルーで作られる「インカ天日塩」(100g324円)。標高3000mの渓谷にある塩田で地下から湧き出した塩水を結晶化させた塩だ。一方、南米ボリビアの「ウユニの塩」(360g505円)は、天空の鏡といわれる絶景のウユニ塩湖で、乾季になると自然結晶して生まれる神秘的な塩だ。

客を熱狂させる塩はそれだけではない。「ステーキの塩」(38g496円)は、ステーキ用に塩と調味料をブレンドした「合わせ塩」。粗く挽いた黒胡椒とガーリックが肉のうまみを最大限に引き立ててくれる。ソースが要らずおいしいステーキが楽しめる便利さが人気になっている。

「合わせ塩」は他にも。女性に人気の「ドレッシングソルト」(36g597円)には8種類のハーブとたっぷりのオニオンチップが入っているから、マヨネーズと混ぜるだけで簡単にタルタルソースの味が再現できる。「塩屋」にはつい使ってみたくなる塩が満載なのだ。

その中で気になる人気ナンバーワンは、塩ブームを牽引する「雪塩」(120g648円)。「雪塩」はまるで粉雪のようなパウダー状の塩。独特の甘味があるまろやかな味が特徴だ。他にない味わいからいろいろなジャンルでも引っ張りだこ。沖縄土産で大人気の「雪塩ちんすこう」や、全国のスーパーで飛ぶように売れている雪塩入り「濃いめのカルピス」など、コラボ商品でもヒットを連発している。



料理を激ウマに変える~大ブレイク「雪塩」の仕掛け人

実は「雪塩」を作っているのは「塩屋」を運営しているのと同じ会社だ。

「雪塩」が生まれたのは沖縄本島からさらに300キロほど南西に浮かぶ宮古島だ。日本屈指の美しいビーチに囲まれた山のない島。4万8000人の島民が暮らしている。

そんな宮古島は今、まさに「雪塩」に湧いている。年間20万人の観光客が押し寄せる「雪塩ミュージアム」では女性たちが「ミネラルソルトホームスパ」(250g1852円)を手にぬりこむ姿が。「雪塩」はミネラルを豊富に含んでいるため、マッサージソルトとしても大人気なのだ。

さらに工場を覗いてみると、「雪塩」をたっぷり混ぜた大ヒット商品を製造中。数ある商品の中で最大のヒット「雪塩ソフトクリーム」(380円)だ。バニラに「雪塩」を練り込んだ甘じょっぱさが絶妙だ。

「雪塩」を生み出したパラダイスプラン社長、西里長治(49歳)は宮古島出身。26歳で会社を起こし、「雪塩」を大ヒットさせると、その後、塩の専門店「塩屋」を全国に7店舗展開し、年商21億円を稼ぐ企業に成長させた。

店に並んでいるのは、西里が全国の塩メーカーを回り探し出した思い入れのある塩ばかり。「みんな真面目にいい塩を作っている。こんなにいいものだから、もっとたくさんの人に知ってほしい」(西里)と、料理の脇役に過ぎない塩を集め、繁盛店を作り上げた。

そこにはある仕掛けがあった。それが店内で丁寧に接客をするスタッフだ。彼らは塩を知り尽くした「ソルトソムリエ」。「おにぎりをおいしく食べられる塩は?」という客の質問に、「沖縄県の与那国島で取れた『黒潮源流塩』は、塩気が強いのと、甘みが出るので、ご飯との相性がいいんです」と答えているスタッフ。「塩屋」は単に塩を売るのではなく、料理をおいしくする今までにない塩の価値を伝えることで、客を掴んできたのだ。


例えば「瀬戸の粗藻塩」(100g545円)は海水に海藻エキスを入れ、煮詰めてつくった塩。この塩に合うメニューは脂がのったサンマの塩焼きだ。海藻のうま味を含んだ塩が、脂ののったサンマの味わいを存分に引き出してくれる。

一方、「わじまの海塩」(200g972円)。能登半島からおよそ50キロ北にある舳倉島(へぐらじま)の沖合の海水に特殊なライトを当て、人の体温ほどの低温でゆっくり結晶化させた塩だ。「うま味がたくさん含まれた塩なので、トマトの甘さを最大限に楽しめます」(ソルトソムリエの蔦林巨之)と、野菜との相性が抜群だという。

塩一つで料理を一変させるおいしいノウハウが、塩ファンを増やしているのだ。

塩に魅了された客を集めて「塩屋」が開くのが、塩の楽しさを口コミで広めてもらうためのソルトパーティー(参加費5000円)。この日、用意されたのは豆腐やキュウリなどの食材。実際に自分たちでおいしい塩の組み合わせを探していく。ある女性が「豆腐に合う」と発見したのは「ミエルシオ」(25g600円)。イカスミを合わせた、北海道産の真っ黒い塩だった。

「お客様は料理をおいしくしたい。塩を売ることは食卓が豊かになるためのお手伝いです」と言う西里。その狙いは、塩のファンを日本中に広め、食卓を豊かにすることにあった。

おにぎりをおいしくする~ヒットを生む塩ハンター

東京・港区にある「塩屋」麻布十番店の店頭で、ある塩の試食が行われていた。おにぎりに使うとご飯の甘みが口に広がる奥能登の「揚げ浜塩」(50g400円)だ。

その塩作りの現場は驚くべきものだった。日本海の荒波の中、ひとり桶で海水をくみあげる塩作り職人の登谷良一さん。この地域では昔から、人力で海水をくみ上げ、浜に撒いて天日乾燥。その中から塩を取り出してきたという。

「潮くみ3年、潮撒き10年の修業が必要。手塩にかけて作った塩です」(登谷さん)

5年前、この「揚げ浜塩」を知った西里が「塩屋」で扱ったところ、一気に口コミで広がり人気商品になった。

「おにぎりに一番合う塩として1日に1000個売れてびっくりした。それは嬉しいですよ」(登谷さん)

全国を回り探し出した塩をヒット商品に変えてきた西里。この日は沖縄本島の東、浜比嘉島(はまひがじま)へ。向かったのは、たった一人で塩を作っている高江洲優さんの工房だ。

「流下式塩田といって、40年前からの製塩法なんです」と言う高江洲さん。手作りした大きな櫓のようなもので塩を作る。竹の枝に海水を流し、風の力で水分を蒸発させる。それを繰り返すことで海水を濃縮し、塩を取り出していくのだ。こうして出来あがるのが「塩屋」でも売るミネラルたっぷりの「浜比嘉塩」(100g308円)だ。

この日、高江洲さんはサフランを使って味を付けた開発中の新商品について、西里の意見を聞いていた。西里はこうして全国の生産者とタッグを組み、塩の市場を盛り上げてきたのだ。高江洲さんは西里を「これから沖縄の塩業界を引っ張っていく方だと思っています」と言って信頼を寄せる。

自殺寸前からの逆転劇~奇跡の「雪塩」誕生秘話

サトウキビ作りしか目立った産業がない貧しい島。西里はそんな宮古島で1967年に生まれる。幼い頃、父・秀徳に繰り返し「島のために役立つ人間になれ」と言われたという。だから「漠然と宮古島に関わる仕事がしたいと思っていました」(西里)。

島を良くするため農業に関わろうと、西里は沖縄本島で農協に就職。しかし、何年経っても宮古島とは接点のない仕事ばかり。結局26歳で島へ舞い戻る。以前にも増して故郷は寂れていた。

そこで西里は観光で島を活性化しようと決める。1995年、西里が作った観光施設の跡地が今も残っている。親戚や知人から借金をして造ったのは観光農園。広大な敷地を整備し、島に観光客を呼び込む切り札にと考えたのだ。目玉は珍しい蝶が飛び交うバタフライパーク。西里は必死で島内の蝶を捕まえて回った。

しかし、オープンから何ヵ月経っても客はまったく来なかった。ふくれあがった借金は、2年で3000万円以上。追い詰められた西里は「自分が死ねば、保険金で借金が返せる。迷惑をかけないためには死ぬしかない」と決意する。ところが、「生命保険を取り出したんです。でもそれで3000万円を返せると思ったら、足りないんです。自分が死んでも払えないとわかった瞬間、死ぬわけにはいかない、開き直るしかない、頑張ればなんくるないさ、と」。

実はその頃もう1人、宮古島を何とかしたいと格闘する男がいた。西里の父・秀徳だ。サトウキビを使って新商品を作ろうと会社を立ち上げる。島の将来への危機感からだった。

「高校生が卒業すると1000人が1000人、島を出ていくんです。それ以上の進学する学校もなければ就職するところもないから、ほとんど100パーセントが島を出る。それをずっと繰り返し、この島は耐えてきたわけです。とにかく若い子たちに仕事を与えたかった」(秀徳)

しかしその取り組みは息子の観光農園同様、失敗。親子共々、後のない状況へ追い込まれる。

そんな2人の元へあるニュースが届いた。塩の生産が自由化され、全国で様々な塩づくりを行うブームが起きていたのだ。親子は「宮古島でも塩を作ってみよう」と決意する。

そして試行錯誤の末にたどり着いたのが、宮古島特有の岩盤に染み込んだ地下水だった。場所によって海水と混じり合うこの地下水から塩を作れないか。さっそく井戸を掘り、くみ上げた海水を蒸発させると、見たこともないような光景が広がった。

宙を舞ったのは驚くほどきめの細かい粉雪のような塩。「南の島に雪の塩が降った」(秀徳)と、父はその塩を「雪塩」と名付けた。

するとそこにさらなる奇跡が起こる。それが「世界で一番ミネラルを多く含んだ塩」というギネスの世界記録。「雪塩」の成分を調べてみると、18種類ものミネラルが含まれていることがわかったのだ。これを機に「雪塩」は空前の大ヒット商品となる。

大逆転劇から17年。今、宮古島のパラダイスプランでは大勢の若者が働いている。高校を出てそのまま島に残る者、島外から戻ってくる者。従業員の数は宮古島だけでも120人を越えた。親子の故郷への思いは、確実に島を変え始めている。


大手スーパーに対抗~故郷の島を幸せにする店

宮古島で畑仕事に勤しんでいる西里米一さん。掘り出したのは自慢の芋だ。一見、サツマイモのようだが、割ってみると中まできれいな紫色。宮古島特産の紅芋だ。

収穫を終えて向かった先は「島の駅みやこ」という店。客でにぎわう店内に並ぶのは、宮古島ではおなじみのマンゴーの中でも特に甘い「キーツマンゴー」や「宮古みそ」、さらに地元の卵を使った「手作りマヨネーズ」まで。ここには島内400軒の生産者やメーカーの商品が集まってくる。米一さんのおいしい紅芋も飛ぶように売れていった。

生産者たちが「ここがあるおかげで収入を増やすことができた」というこの店を作ったのは、他ならぬ西里だ。「オール宮古島。いろいろな生産者が持ってくる商品を応援して、宮古島を活性化させる」と言う。

きっかけとなったのは島に次々と建てられている大手スーパー。そこには島の食材がほとんど並んでいないのだ。


「島の駅みやこ」にはもう一つ特徴がある。宮古島産の鶏肉にふりかけていたのは自慢の「雪塩」。焼きあがったのは甘辛ソースが絶品の雪塩チキンだ。さらに地元の「かつおみそ」も「雪塩」味。様々な島の商品を「雪塩」でアレンジすることで、他にない魅力的な商品を作り出しているのだ。

そんな絶品揃いの「島の駅」は評判を呼び、今年3月、なんと沖縄本島の那覇市に2号店がオープンした。今や宮古島の商品を外へ発信する役割を担っている。

~村上龍の編集後記~

「敵に塩を送る」の故事が示すとおり、かつて塩は貴重な戦略物資だった。

西里さんは、独自に、高品質で味わい深い塩を作ったが、その利益・名声を独占しようとしなかった。おおらかで、慈愛にあふれ、かつ謙虚。沖縄らしいなと思う。

「若者が島に戻ってくるように」。宮古島だけではなく、故郷を大切に想う人たち共通の願いだろう。

「雪塩」誕生までの数々のエピソードは、心温まるものだが、同時に苛烈でもある。

雪塩は、やわらかで、優しい味だった。何度も絶望の縁に立った人にはとても見えない、西里さんの笑顔と似ていた。

<出演者略歴>

西里長治(にしざと・ちょうじ)1967年、沖縄県生まれ。1994年、パラダイスプラン設立。2000年、「雪塩」販売開始。2004年、「塩屋」1号店オープン。

source:テレビ東京「カンブリア宮殿」

情報源: 故郷に奇跡を起こした「雪塩」誕生秘話、コラボ商品でもヒットを連発 – ライブドアニュース

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