至近距離の現代 |LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

2017.06.02 FRI

斎藤和弘
Kazuhiro Saito

至近距離の現代

かつて『GQ JAPAN』や『VOGUE NIPPON』といったライフスタイル誌、モード誌の編集長を歴任してきた斎藤和弘氏が現代のラグジュアリーについてつづる連載。今回はSNS時代の豊かさについて考える。

(読了時間:約4分)

Text by Kazuhiro Saito
Photograph by Tetsuya Yamakawa
ART&DESIGN FASHION LUXURY TREND IT

通勤電車の中から見えてきた若者の変化

第1回では、ラグジュアリー=贅沢・豊かさを論じていくうえで、そもそも私自身がひたすら雑誌の編集者という経歴を経て、イデオロギー体質から抜け出せない理念型のモノの考え方を持っている人間であることをお話ししました。ここからは具体的なエピソードを交えてラグジュアリーについて語っていきます。

2009年末に、私はコンデナスト・パブリケーションズ・ジャパンの社長を退き、同社を退職しました。退職してからはフリーランスの編集者としてメディアに関わったり、ときにはメディアのアドバイザーとして手伝ったりしています。会社勤めを辞めてからは通勤がなくなったわけですが、しばらくしてから私の生活に週2回のルーティンが組み込まれることになりました。基本は夏休みのような毎日を過ごしているのですが。

2012年4月から今年の3月まで、私は明治大学の特任教授として教壇に立っていました。週2回の講義への通勤手段は電車です。編集者時代、私の移動はもっぱらタクシーでしたから、最後に通勤で電車に乗ったのはいつだったのか、はっきりと覚えていません。そんな久々の電車通勤生活の中から見えてきた、きわめて現代的なラグジュアリーの話をしましょう。

御茶ノ水、あるいは明大前のキャンパスに向かう電車の中でのことです。ふと山手線に揺られている若者たちの格好を見てみると、ここ4、5年のあいだにある変化が起きていることに気づきました。それは私が思う普通のお洒落、“ほどほど、そこそこのお洒落”が変わってきているということです。

ほどほど、そこそこのお洒落とは何か。一番分かりやすい例はビームスやユナイテッドアローズなど、いわゆるセレクトショップのオリジナルスーツを着ることです。今の若者にとってセレクトショップのオリジナルスーツは高い買い物なのでしょう。わざわざセレクトショップではなく、いわゆるショッピングセンターや紳士服店で扱っている適度なモノで満たされている。現代っぽく言えば、それは価値観のダイバーシティなのかもしれませんが、私はそれをファッションだとは解釈できません。

現代における憧れとは

雑誌の世界の話でいうと、現代の雑誌には、ショッピングセンターで売られている商品を紹介する媒体が増えました。私たちの世代では、そんな雑誌が存在することなんて毛頭考えられませんでした。だって、雑誌とは新しい何かが生まれる、はじまる予感が漂うものでしたから。

私が思うに、今の若者には憧れがないのでしょう。成長物語としてある種のビルドゥングスロマン(教養小説)で語ると、人は思春期に何かに憧れて何者かになっていきます。お洒落についても誰かに憧れます。ミュージシャンや映画俳優がその人にとってのファッションカリスマになるわけですが、今の若者には仮に憧れがあったとしても、圧倒的な憧れに値する存在がいないのだと感じています。

憧れとは、追いかけても追いつけない存在である。それを前提にお話しすると、現代を生きる人々は豊かさをどこに感じているのでしょうか。その答えは自分と至近距離の人間関係、あるいは自分と至近距離のモノとの関係にあります。

何が彼らを引っ張るのかというと、おそらくそれはInstagramで影響力のあるインスタグラマーたちです。彼らは手が届きやすい距離にいて、どこか自分と変わらない感じを印象として受けるのでしょう。それゆえに、心の底からなりたい憧れではないのです。これは現代の若者のファッションを象徴しているように思います。

SNSで繋がっている人々は極めて至近距離の関係にあります。たとえフォローし合ったユーザー同士が北海道と沖縄で暮らしていたとしても至近距離です。なぜならば、SNSは自分と近い趣向を「いいね!」と思うユーザー同士がつながっていく社会なのですから。逆にいえば、自分と関係のない人々を遮断している世界とも言えます。

まだまだ狭くなっていく世界

しばしば、SNSを介して誰と誰がつながっていて、「世間は狭いものですね」なんて言ったりしますが、いやいや、世間どころではなく、世界は本当に狭くなっています。インターネットが発達したことで情報が入りやすくなり、オンライン上で人と人がつながりやすくなったが故に、憧れがなくなってしまいました。これは相当なトレードオフです。

至近距離の現代を象徴するキーワードである、そこそこ、ほどほど。そこに気持ち良さや心地よさを感じている人たちの存在は否定しません。ただし、そこそこ、ほどほどの情報を発信するメディアは問題です。適度なモノコトに新しい価値はありませんから。

モノの考え方、感性が近い同質の人たちがつながり、遠い人は排除されていく。そんなすべてが同質の人たちというコミュニティに、私は気持ち悪さを感じてしまいます。同質って、最終的にはエントロピー0の世界、つまりは“死”を意味しますから。人々がSNSを積極的に使っていく限り、世界はまだまだその様相が続いていくでしょう。私たちはどうやって豊かさを見出して生きていけばいいのか。それと向き合うことで、あなたにとってのラグジュアリーが見えてくるはずです。

情報源: 至近距離の現代 |LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

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