量と質の関係 ー網羅性から叙情が生まれるー |LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

2017.10.16 MON

斎藤和弘
Kazuhiro Saito

量と質の関係 ー網羅性から叙情が生まれるー

かつてライフスタイル誌、モード誌の編集長を歴任してきた筆者が現代のラグジュアリーについてつづる連載。今回は新人編集者時代に経験した鉄道写真の神様との撮影エピソードを紹介しつつ、鉄道写真というジャンルから感じたラグジュアリーについて考えます。

(読了時間:約4分)

Text by Kazuhiro Saito
Photograph by Tetsuya Yamakawa
ART&DESIGN SKILL

ひたすらブルートレインを撮り続けた二週間

東京大学を卒業した20代前半の頃、平凡社という出版社に入社した私は雑誌「太陽」の編集部に配属され、編集者として駆け出しの時代を過ごしていました。新人時代の印象に残っている取材のひとつにブルートレインの特集があるのですが、今回は鉄道写真というジャンルから感じたラグジュアリーについてお話ししたいと思います。

鉄道写真の世界には、プロ・アマチュア含めてたくさんのカメラマンが存在します。なかでも、私が一緒に仕事をした広田尚敬さんという写真家は、私にとって鉄道写真界の神様です。

今から40年ほど前、新人編集者だった私と広田さんは、東京駅から西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)に向かう寝台特急「富士」「はやぶさ」の写真を撮るために、二週間の撮影を共にしました。広島で合流した私たちは関門トンネルを抜けて九州に入り、ローカル線で行ったり来たりしながら、ブルートレインを撮るためのベストな場所を探しました。結果、富士の企画だけで20ページくらいは作ったでしょうか。アシスタント無し、二人きりで二週間ひたすらブルートレインを撮り続けたので、里山の険しい森の中に入ったりと、今でも過酷で危険な撮影だったことを鮮明に憶えています。

広田さんとのブルートレイン撮影を通じて、私は鉄道写真の基本は極めてデータにあるということを痛感しました。どの電車をどこからどのように撮るのか。いわゆる撮り鉄の人たちのブログを読むと分かりますが、彼らは撮影した鉄道写真に対して、細かい情報とスペックまで載せているんですね。そういった網羅性には圧倒的な価値があります。しかしプロアマを問わず多くの鉄道写真家の作品はここで止まっています。画面をモノ、つまり列車が圧倒します。スペック、データの写真です。その網羅性には頭が下がりますが、そこまでです。

網羅性のなかに感じるリリシズム

広田さんがなぜ鉄道写真界の神様かというと、一言で言えば、写真に叙情があるのです。広田さんの鉄道写真は必要な要素を押さえたうえで、極めてエモーショナル。私はある種のリリシズムみたいなものを網羅性のなかに感じ、現像された富士の写真に猛烈に感動しました。それと同時に思ったのは、カメラマンという職業は機材や写真にオタクや造詣が表れやすいですが、モノ好きだけでなく、ビジュアルとしてのセンスみたいなものを備えた人が生き残っていくということ。そういう意味では量をこなすだけではダメなんだなと。

同じ被写体を撮り続けるカメラマンのなかで、古都・奈良を撮り続けたことで知られる入江泰吉さんの写真にも、広田さんと同じような叙情を感じました。入江さんのスタジオというか自宅は東大寺の塔頭の中にありました。うかがって、例えば二月堂の春の朝方の写真をお願いすると、入江さんはおもむろにデスクの後にある巨大な写真キャビネットを開けます。するとそこにはほとんど365日、朝昼晩どころか1時間毎に撮影されたとおぼしき同じアングルの大量の二月堂がストックされていたのです。もちろん大仏殿も南大門も、あるいは唐招提寺や興福寺も。写真の網羅性をここまで極めたのです。そして、広田さんも入江さんも、どこかで量が質に変わる瞬間を経験した。つまり、網羅性から叙情を手に入れたのです。

私が思うに、写真の良し悪しは完全に画角です。全てを写すのではなく、どこから何を撮って何を省くか。どこかを切った瞬間に初めて叙情が表れるのだと思います。それは別の言い方をすれば、時間を封じ込めたということかもしれません。物理的にはシャッタースピードの時間なのですが、広田さんも入江さんも画角を切った瞬間に、被写体の放つ時間性を撮り込んだのだと思うのです。そしてその瞬間、鉄道写真も古都写真もラグジュアリーとなったのではないでしょうか。

また、写真は基本的に状況に左右されるものなので、それはある種、雑誌の編集に似ているんですね。条件を選ばなくても撮れる人が本当に優秀なのかもしれませんが、さまざまな条件をいかにしてクリアし、自分の写真を撮るのかという「自らとの闘い」に価値を感じます。ちなみに、広田さんはウェブサイトを持っていますが、ドメインはtetsudoshashin.comです。これはまさに広田さんにこそふさわしいドメインではないでしょうか。

デジタルカメラやスマートフォンカメラ、画像加工のアプリケーションなどが発達したおかげで、今の時代は素人カメラマンが増えました。テクノロジーの進化によって、写真は画像と呼ばれ、写真を眺める主な環境は印刷されたプリントではなくディスプレイ越しになりましたが、私はやはり現像されたフイルム写真を手にとって眺めたい。そして、にわかが多くなった時代だからこそ、写真の世界においても、テーマや被写体をどう捉えているかというモノの見方が重要になっていると感じるのです。

情報源: 量と質の関係 ー網羅性から叙情が生まれるー |LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です