新型肺炎、封鎖された武漢で一体何が起きているのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

2020.02.10

2020年2月3日、中国武漢市内の人気のない大通りを横断する男性。武漢から流行した新型コロナウイルスの感染による中国での死者数は2月10日の時点で900人を超えた。米国、カナダ、オーストラリア、日本、韓国、インド、英国、ドイツ、フランスなどでも感染者が報告されている。(PHOTOGRAPH BY GETTY IMAGES)

 発汗と悪寒は旧正月とともにやってきた。

 ワン・ジェン氏は33歳、湖北大学で哲学の講師をしている。1月25日の夕方、武漢郊外の自宅で妻と2人の子どもと両親と一緒に旧正月を祝うテレビ番組を観ていたとき、ふと息苦しさを感じた。胸の違和感は時間とともに大きくなり、やがて座っていられなくなった。

「最初に思ったのは、家族にうつしてはいけないということでした。まだうつしていなければの話ですが」と振り返る。

 ワン氏は小さなバッグに荷物を詰めて、冷たい霧雨の中、市内にあった大学のアパートに車で向かった。大きな通りは封鎖されていたが、武漢生まれの彼は検問所を迂回して目的地をめざした。アパートにたどりつくと、ソファーに倒れこんで感染症に関する最新のニュースをチェックした。

 この時点では、中国政府は新型コロナウイルスの感染者を1320人と発表していた。その大半が武漢を省都とする湖北省で確認されていた。実際に感染が拡大し始めた最初の数週間に、彼は人々が謎の病気にかかっているという話は聞いていたが、さほど警戒していなかった。地元当局は当初、ウイルスは野生動物に由来するもので、ヒトからヒトへは感染しないと言っていたからだ。(参考記事:「中国の野生動物取引はどうなる?「なんでも食べる中国人」は神話」

 その内容が変わったのは、ワン氏が発症する5日前だった。武漢に派遣された国家衛生健康委員会のチームを率いる鐘南山氏が中国国営テレビに、ヒトからヒトへの感染が起きている証拠があると語ったのだ。中国政府は人口1100万の巨大都市武漢の交通を厳しく制限して封鎖し、翌週にはその範囲を湖北省全域に広げた。ポルトガルの2倍の広さの6000万人近くが暮らす地域が封鎖されたことになる。

「市内はがらんとしていました」と彼は言う。「世界の終わりのような、不気味な雰囲気でした」

ギャラリー:新型肺炎、封鎖された武漢で一体何が起きているのか
コロナウイルス感染者が隔離されている武漢のホテルの外の検問所にいる政府職員。(PHOTOGRAPH BY FEATURE CHINA/BARCROFT MEDIA VIA GETTY IMAGES)

 アパートにいるワン氏の体調はさらに悪化し、中国の緊急電話番号である120に電話をかけた。話し中だった。電話を置き、暗い部屋で1人助けを待った。外では新型コロナウイルスが燎原の火のように広まっていた。

 今、中国ではたくさんの人が彼と同じような経験をしている。

 新型肺炎にかぎらず、どの「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」でも、最初の1カ月は似たような状況になる。(参考記事:「すでに数千人が発症か、中国の新型肺炎、疫学者らが発表」

 WHOのデータによると、2月10日の時点で、中国本土の感染者数は4万人を突破した。死者は900人を超え、感染者の3分の2以上が湖北省に住んでいる。17年前のSARS(重症急性呼吸器症候群)禍を思い出す人も多い。当時は全世界で8100人が感染し、800人近くが死亡した。

 SARSの病原体もコロナウイルスだったが、今回の新型コロナウイルスは短い期間にはるかに多くの人々に感染している。アジア、ヨーロッパ、北米の25の国と地域で200人以上の感染者が報告されていて、2月1日には中国国外で最初の死者も出た。

12月29日以降、病院はあっという間に満員に

 1月1日、武漢市随一の感染症センターの医師チャン・リー氏は、非定型肺炎の重症患者たちの治療にかかりきりになっていた。

 その武漢市金銀潭病院に最初の患者が運び込まれたのは12月29日だった。翌日にはもっと増え、それから数十人になった。1週間もしないうちに入院患者は定員を超えた。以来、同じく同病院の呼吸器科医師である夫を含め、金銀潭病院の全スタッフが過酷な仕事に耐えている。

「生きるか死ぬかの戦いです」とチャン氏は言う。

 中国の習近平国家主席は新型コロナウイルスの感染拡大を予防し、制圧するために、この地域に戦時体制を敷いた。中国共産党は1月24日にSARSやエボラ出血熱の治療経験をもつ人民解放軍の医療スタッフ450人を武漢に送り込んだ。習主席は封鎖地域に防護マスクと防護服、診断ツールなどの医療物資を迅速に届けるように命じ、危機への対応を怠った役人を処分すると約束した。(参考記事:「エボラ出血熱と、バイオテロ対策と、」

科学者たちは早速、感染症が拡大した過程を検討した。

 1月29日には医学誌「New England Journal of Medicine」に最初の425人の重症患者に関する論文が発表され、重症患者の平均年齢が59歳であることが示された。

 これは新型コロナウイルスに関する現時点で最大規模の疫学研究である。論文の筆頭著者である香港大学の疫学者ベンジャミン・カウリング氏は、ヒトからヒトへの感染の明確な証拠も示されたと言う。

 同氏は「疑問の余地はありません」としながら、15歳以下の子どもの重症患者はいなかったとする一面も指摘した。

 カウリング氏の研究では、1人の患者から平均2.2人に感染したと推定された。また、医学誌「ランセット」に1月31日付で発表された別の論文では、平均2.7人に感染したと見積もられている。どちらの研究チームも香港大学医学部長ガブリエル・レオン氏が率いている。レオン氏の研究や他の分析によると、感染から発症までの潜伏期間は、多くの場合5〜6日のようだ。

 コロナウイルスは主に濃厚接触、特に、感染者の咳やくしゃみからの飛沫で感染する。しかし、1月29日に「New England Journal of Medicine」に発表されたもう1本の論文では、最初の米国人感染者の軟便の中にウイルスが排泄されている兆候を発見し、患者の排泄物から感染する可能性もあることが示唆された。

 ウイルスの広がりを抑えるため、春節の旅行で封鎖前に武漢から出た数百万人の足取りが追跡され、2週間の隔離が義務付けられた。春節休暇は延長され、中国全土の人々は、できるだけ在宅で仕事をするように推奨された。団体旅行は中止、バス、電車、飛行機での国内移動も規制されている。 (参考記事:「世界最大の人口移動、中国の旧正月」

 先例のない厳しい対応だが、一部の専門家は称賛に価すると評価している。「迅速に対応した中国政府は信用できます」と、米コロンビア大学感染症・免疫センターのイアン・リプキン所長は言い、ウイルスの封じ込めにも期待する。同氏の研究室は過去に中国当局とSARSの早期診断テストを開発したことがあるが、2003年のSARS禍に比べれば「はるかにいい対応です」と言う。

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武漢の火神山病院の航空写真。コロナウイルスに感染した人々を収容するためにわずか10日で建設された仮設病院だ。(PHOTOGRAPH BY GETTY IMAGES)

 WHOのテドロス・アダノム事務局長も中国政府の対応について同様の評価を発表していたが、その直後の1月30日、新型コロナウイルス感染症について「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。この宣言はWHOでは最高レベルの警告であり、病原体が発生した国以外も、国際的に協調した対応が迫られることになった。WHOは今後3カ月間に、感染症の脅威にさらされた国々の対応に6億7500万ドル(約740億円)を支出することを予定している。

「今回の緊急宣言は中国への不信任決議ではありません」と、テドロス事務局長は1月30日にジュネーブでの記者会見で語った。「私たちは医療システムの脆弱な国々にウイルスが拡散する可能性を心配しているのです」

現場の医師の声

 だが武漢市の金銀潭病院に勤めるチャン氏は、特に重症の患者のみを治療している同病院の状況は悪化していると感じている。

「致死率は上昇しているように見えます。今日は私が担当する病棟だけで3人が亡くなりました」と、2月2日の夕方にナショナル ジオグラフィックの電話取材に応じてチャン氏は言った。疲れている様子がうかがえ、口調は静かで、強い悲しみと無力感が伝わった。

「ウイルスが強力になっている兆候なのかはわかりません」。体調を崩し現場を離れる同僚が相次いでいるという。新型肺炎に感染した人もいれば、過労で倒れた人もいる。新型肺炎について市民に最初に警戒を呼びかけた医師の1人である李文亮氏は、2月7日に亡くなり大きく報じられた。

 チャン氏らは「ランセット」に発表した論文で、1月1日から20日までに金銀潭病院に入院した重症患者99人の致死率は11%だったと発表している。現時点で、中国全土では重症患者の致死率は15%前後である。

 研究では、最悪の結果が予想される因子として、喫煙歴、細菌感染、高血圧、糖尿病、高齢を挙げている。チャン氏は、「命に関わる重症化を防ぐためには、これらの因子を早期に特定し、早期に治療を受けることが重要です」と言う。

 一部の専門家は、この数字は新型肺炎の中心地以外には当てはまらないのではないかと考えている。全体の死者は2月10日の時点で約910人で、全世界の感染者の2%程度にとどまっているからだ。

「実際の致死率はもっと低い可能性があります」と、デューク・シンガポール国立大学医科大学院のリンファ・ワン新興感染症プログラム長はみる。軽症患者の多くは病院に行っておらず、検査能力にも限界があるため、確認されている感染者は全体のごく一部だと思われるからだ。(参考記事:「MERSワクチン、開発が進まない理由」

感染で孤立、役に立ったのはインターネット

 武漢市内のアパートで1人で耐えていたワン氏は、このままでは死ぬと思った。子どもたちの成長を見られないのは耐えられない。再び120に電話をかけた。まだ話し中だった。

 何回かけてもつながらない電話にパニックになったワン氏は、このデジタル時代に誰もが思いつく手段に出た。ソーシャルメディアを使ったのだ。

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武漢国際会議展示センターにベッドを準備する作業員たち。(PHOTOGRAPH BY GETTY IMAGES)

 彼は中国で人気のメッセージアプリWeChat(微信)を使って、友人や同僚や学生にメッセージを送った。数十人が返事をくれた。彼らはワン氏のために120に電話をかけてくれた。同僚の友人の武漢天佑病院の医師は彼のためにベッドを確保してくれた。

「封鎖エリアでは、恐怖や不安や病気に関する知識の不足が人々を苦しめています」と、武漢で健康診断などを行っている慈銘体検グループの内科医リュー・ハオ氏は言う。「インターネットのおかげで、できることはたくさんあります」(参考記事:「IT技術を駆使したエボラ治療」

 武漢生まれのリュー氏は、見捨てられた人々をオンラインで支援するため、30人以上の医師を含め、中国全土から約100人のボランティアを集めた。医学的な指導と心理カウンセリングを提供するほか、感染の予防法や隔離下での食事、健康維持に関する助言も行っている。

 封鎖がいつ解除されるかはわからない。「長期戦の構えです」とリュー氏は言う。「人々は、自分たちを気にかけてくれる人を必要としています。今は病院で診てもらえなくても、必要なときには誰かが助けてくれることを確認したいのです」

 WeChatで助けを求めてから数時間後、ワン氏のアパートに救急車が到着した。防護マスクと防護服を身につけた2人の医療スタッフが、彼を天佑病院に搬送した。高熱はあったものの、X線検査では重症の呼吸器疾患の兆候は見られなかった。

「少なくとも死ぬことはないのだと思いました」と彼は言う。けれどもコロナウイルスの検査は受けられなかった。少ない試薬は肺炎の症状がはっきり出ている患者のためにとっておく必要があったからだ。彼は経過観察のために入院した。2人の高齢の男性患者と相部屋で、それぞれのベッドはカーテンで仕切られていた。

「私たちは一言も喋りませんでした。ウイルスを持っているのではないかと、お互いを警戒していたのです」とワン氏。だが彼はまだ幸運だった。

 武漢の封鎖後、市民は市内の病院に殺到した。国営テレビは大混雑の発熱外来の様子を伝えた。数え切れないほどの人々が追い返され、隔離のために自宅から出ないようにと指示された。隔離できる場所も、隔離に関する正しい助言もなく、多くの家庭で新たな感染が起きた。自宅で死亡した人は公式な死亡者数には入らない可能性がある。

 感染が疑われる人々をただちに適切に隔離しなければならないと呼びかける人々もいる。「それができないと、『歩く感染源』や交差感染が増えてしまいます」と、武漢にある華中科技大学のレイ・レイペン人文学部副学部長は言う。同氏のチームは湖北省政府に対して、症状があるが今すぐ専門病院で治療することのできない人々を隔離するように働きかけている。

「彼らを放置してほかの人々に感染させてはいけません」とレイ氏は言う。「武漢のホテルはガラ空きです。多くの総合病院にも空きがあります。感染の広がりを阻止するために、こうした施設を利用すればいいのです」(参考記事:「コロナウイルスに感染しにくい機内の座席は? 研究」

 武漢に閉じ込められている多くの人々の不安は、近く解消する可能性もある。『湖北日報』によると、湖北省政府が2月2日に、感染者の特定と隔離を優先的に進めていくと表明したという。

 また、先例のない医療ニーズに応えるため、中国政府は武漢に2つの新しい仮設病院を建設した。国営テレビは数十台の色とりどりの重機が建設現場の地面を掘る様子を伝えた。短期間での建設を可能にするため、6300人以上の作業員が24時間体制で作業にあたった。

 最初の病院「火神山病院」は10日で完成し、2月4日にオープンした。雷神山病院も2月6日にオープンした。2つの病院には人民解放軍の医療スタッフ3400人が配備され、ベッド数は2600床になる。

 一方、武漢市内の24の総合病院が、呼吸器感染症患者を受け入れられるように改装中だ。プロジェクトメンバーのスン・フェンファ氏は中国国営テレビに対して、これで2月上旬には新たに1万3000床が加わることになると語った。「感染症の広がり具合を見て、ほかの病院も改装するべきかを判断する予定です」

回復、退院後も自己隔離

 天佑病院での数日間の抗ウイルス薬治療などにより、ワン氏の具合はずっとよくなった。熱は下がり、息苦しさもなくなり、胸の違和感も和らいだ。病院は彼を退院させた。まだ完治ではないものの、中国の混乱は続いているからだ。

「終息の時期はまだわかりません」と、武漢市金銀潭病院の呼吸器科のチャン医師は言う。「患者はもっと出るでしょう」

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最初のコロナウイルス感染との関連を理由に閉鎖された華南海鮮市場で、逃げ出したオオサンショウウオを捕まえて持っていく作業員。(PHOTOGRAPH BY FEATURE CHINA/BARCROFT MEDIA VIA GETTY IMAGES)

 2月7日に「ランセット」に発表された論文では、これまでに明らかになった患者数と疾患の広がりのモデルにもとづき、武漢では1月25日までに約7万6000人が新型コロナウイルスに感染したと見積もっている。論文の著者らは、感染者は6.4日ごとに倍増しているとみている。しかし、研究チームを率いたレオン氏は、「その後の先例のない規模の社会的隔離により、広がり方は遅くなっている可能性があります」と言う。

 現時点で、スーパースプレッダー(いちどに多くの人にウイルスを感染させる患者)の存在は、査読のある学術誌にはまだ報告されていない。しかし、1月24日に「ランセット」に発表された論文は、軽症患者や症状のない感染者から感染する可能性を指摘している。2月4日には、中国の国家衛生健康委員会が、そうした事例が特に家族内で多く確認されていることを認めた。

「症状が出ないかぎり感染しないSARSとは対照的です」と、医学研究専門の慈善団体ウェルカムトラストのジェレミー・ファラー代表は言う。「そうなると、制圧は非常に困難です」

 そのため、退院したワン氏は、自分がウイルスに感染していて人にうつす可能性があるとして、市内にある湖北大学のアパートで自己隔離を続けている。学生たちが交代で食料品の買い出しに行ってくれている。

「学生たちはアパートの外に荷物を置いて、メッセージを送ってくれます」とワン氏。「直接会うことはありません。危険を冒すわけにはいきませんから」

 家族とはWeChatのテレビ電話で毎日「会って」いる。「1日も早くこんな状態が終わるといいのですが。子どもたちを再び抱きしめられる日が待ち遠しいです」

文=Jane Qiu/訳=三枝小夜子

情報源: 新型肺炎、封鎖された武漢で一体何が起きているのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

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