2020年5月12日 17時00分
豊臣秀吉が死去する前年の慶長2(1597)年に築いた「京都新城(しんじょう)」の遺構とされる石垣と堀の跡が初めて、京都御苑(京都市)の一角で見つかった。
京都市埋蔵文化財研究所が12日発表した。
新城に関する史料はほとんどなく、どのような建物だったかを示す物証もなかったため、専門家は極めて貴重な発見だとしている。新城は、大坂城(大阪市)や聚楽第(じゅらくだい)(京都市)などの城を作った秀吉が最後に作ったとされる。
当時の公家の日記などによると正式名称はなく、「太閤御屋敷」などと呼ばれていた。
京都御所の南東にあり、屋敷の範囲に触れた日記の記述をもとにすると、敷地面積は甲子園球場約8個分にあたる約32ヘクタール。
息子の秀頼が官位を授けられる際に滞在したほか、秀吉が1598年に死去した後は正室の北政所(きたのまんどころ)(高台院(こうだいいん))が利用した。
敷地は徐々に縮小し、1624年に北政所が死去した後に完全に壊されたとされる。