月別アーカイブ: 2011年5月

二十の扉 – Wikipedia

ルール [編集]

レギュラー解答者4人に週替わりのゲスト解答者1人を含めた5人の解答者と司会者である藤倉との質疑応答形式で進められる
「動物」「植物」「鉱物」のいずれかのジャンルに分けられ、藤倉から出題される
その際に解答者の席から見えないところに正解の書かれたポスターが張り出され、会場内の観客に知らされた
また、聴取者にも出題時に「影の声」から答えが放送される
解答者は「それは……ですか?」と藤倉に質問を行い、それに対する藤倉の返答をヒントにして20問の質問を行い正解を導き出さなくてはならない

例えば、「犬」が正解の場合には出題時に「“動物”です」と解答者に告げられる
ここからその動物が何であるか藤倉との質疑応答で推理していき、20問以内に「犬」という答えを出せば良い

観客・視聴者の反応 [編集]

解答者が正解を導き出せそうな質問をすると観客から拍手が起こることもあったが、惜しい答えが出されたり正解から遠ざかる質問が出されたりすると観客からため息が漏れることもあった
解答者にとっては藤倉からの返答のほかにも、こうした観客の反応が暗黙の“ヒント”になっていた

すでに答えを知っている観客や聴取者にとっては解答者がどのように答えを導き出していくか、誰が正解を出すかなどという過程を見たり聞いたりする楽しみもあった

クイズ100人に聞きました – Wikipedia

ルール

通常問題

  • 問題は全5問(40分時代は全6問、1990å¹´10月から1992å¹´4月頃までは4問)で30分時代は最後の問題で、40分時代は最後の2問(5問目と6問目)に限り、得点が倍になる
  1. 問題毎に先攻・後攻を決める為、各チームから解答者が1人ずつパネルの前に設置されている解答台に出る
    2問目以降は順に後方に移る
    6問目は代表戦で、任意のメンバーが出る
    その際、互いに握手を交わすこととなっており、交わさなかった場合でも関口が握手を促す
    これは第1回目の放送で、最初の解答者が解答台に出てきた時に関口が「お互いに握手でもしましょうか」と促したのがきっかけである
  2. 関口が問題を読み上げ、早押しで解答権を得て、順位の高い回答を当てる(相談は不可)
    早く押した解答者が解答して1位を当てると、無条件にそのチームが先攻となるが、1位を当てられなければ相手チームに解答権が移り、前の回答より高い順位の回答を当てれば先攻となる
    回答人数が同じ回答を答えた場合はパネルの番号に関係無く、早押しを早く押したチームが先攻となる(例えば早押しを早く押した側が6番、後に答えた側が5番の回答を開けたとしても、5番と6番の回答人数が同じなら、早押しを早く押した側のチームが先攻となる)
    但し両者正解が出ない場合は、1つでも正解が出るまで続く
  3. 先攻チームは1人ずつ順番に解答する(相談可)
    なお、結果的に答えが2つになっている、具体的な解答を求められた場合は、アタック音の途中でピンポン音が数回鳴らされ、言い直しをしなければならない
    正解するとピンポン音ともにパネルが開き、答えた人数が得点としてパネル上部の白い7セグの得点盤にプールされていき、全部正解すると得点を先攻チームが全て獲得となる
  4. 1人以下の回答・1度出た回答を言う・制限時間内(制限時間いっぱいで警告としてブザーを短く数回鳴らされる)に解答出来ないと、ブザーが鳴りお手付きとなり(画面には□の中に×マーク(赤色)が出る)、四角の白地に赤く縁取りされた赤いバツマークのプラカードを持つ
    3回お手つき(不正解)で解答権が無くなり、後攻チームに解答権が移る(先攻チームが解答中の間に、後攻チームは相談をして答えをまとめる)
    後攻チームは解答権は1回、関口の「せーの」の掛け声の後に全員で解答、正解すれば正解分の得点に先攻チームのプールされていた得点を獲得、不正解でプールされていた得点を先攻チームが獲得
  5. 最終的に得点の多いチームが(その際、「勝利 ○○チーム」のテロップが出る)、LOOK JTB(当初は「日本交通公社」で後にJTBに社名変更)で行くハワイ旅行をかけた「トラベルチャンス」の挑戦権を得る

宿題クイズ

40分放送時に設定されたコーナーで4問目終了後に行われ、100人から調査した結果の内1つを視聴者が当てるコーナーで大抵は1位だが1位が圧倒的多数の場合2位または3位を当てるコーナーである
それ以外の答えは予め開かれ、ヒントとして
いる
問題の答えを応募して正解者から抽選で百太郎のぬいぐるみがプレゼントされる
宿題クイズの解答は次週に「おさらいクイズ」として宿題クイズの後に前回の宿題クイズの解答が発表される
答えの数は通常問題に比べ少ないケースが多かった(答え4 – 6つが殆ど、稀に3つということもあった)
30分短縮後は直前の問題を宿題クイズとしていた
まれに第1問出題前に行う時もあった
クイズのヒントとして司会者から「宛先、その他は屋根裏の○○がご案内します」と○○の部分には正解のヒントになることを言っていた(TBSチャンネルでの再放送では一部の回をのぞき、CM前に入っていたためその部分はカットされている)

作戦

  • 家族対抗のクイズ番組ということもあり、作戦的なものはほとんど存在せず純粋に答えを出し合って競うことが基本だが、稀に「勝敗にこだわった」作戦を実行するチームも存在した
    最終問題の解答権を早押しで得たチームがあえて何も回答せずに×3つで相手チームにそのまま解答権を返したことが数回あった(以下は一例)
  1. その時点で開いていたパネルは5位の18点のみ
    答えは8つ
  2. 5位のパネルは、このチームが早押しで開けたもの
    相手チームは早押しでパネルを開けられなかった
  3. 解答権を得た(先攻チームがあえて放棄した)相手チームは1回だけしか解答できないため最善でも1位のパネルを開けることしかできない
  4. 少数意見でない以上、6位、7位、8位は最低でも各2点
    計6点
  5. 5位の18点を加えるとすでに24点は5位以下に確定
  6. 残りの76点が1位から4位の最大合計点数
  7. 当然、1位≧2位≧3位≧4位≧5位=18点である
  8. 1位を最大化するために2位から4位も全て18点と仮定すると、ここでさらに54点分が確定
  9. 1位は最大でも、100-24-54=22点である
  10. このときの両チームの点差は81点
    相手チームが1位のパネル(最大で22点)を開けてプール分(5位の18点)を加算し、倍にしても最大80点しか獲得できず、逆転できない
  11. 先攻チームが何か回答をしてパネルを開けると後攻チームにも逆転勝利の可能性があるが、先攻チームが回答を放棄してしまうと逆転はできない
    後攻チームは先攻チームのその戦略に気がついても(先攻チームが何か打ち合わせた後、不自然に黙り込んでしまうので気がつくことが多い)何も対抗手段が無い

トラベルチャンス

  • 勝利チームが挑戦し、5人それぞれに1問1答の問題を出す(当初は1問毎にアンケート対象が異なる問題が出題されたが、後にテーマを発表して5問全てアンケート対象が同一である問題を出題する方式に変わった)
    解答出来る権利は1人1回(相談可)で5人が挑戦、得た点数によってハワイ旅行に行ける人数が決定した
  • パネルは、空港の出発案内板を模したソラリー式(フラップ式)表示装置が使われ、前期はCM中にキャスター式のパネルをスタジオ中央に移動する作業方式だったが、後期はCM前のアタック音の時に天井からパネルが降りていく仕組みで、終了後は天井へ戻された
  • 解答者が答えを言った後、関口が「トラベルチャンス!!」と発すると、ドラムロールが鳴ってメインのフラップ板が動き、その際飛行機のマークが左から右へ動いた後(パラパラ漫画みたいなもの)、正解の場合はチャイムが鳴りながらメインのフラップ板に答えと順位、右側のフラップ板に人数が表示、不正解の場合はメインのフラップ板に「×」マークが表示されるとともにブザーが鳴る(画面にも□の中に×マーク(赤色)が出る)
    右側のフラップ板に「0」が表示される
    右上には合計得点が表示され、更に上部に百太郎のランプが5つ並んでおり、獲得人数に応じてランプが点く
    なお、2チーム対戦形式のトラベルチャンスと最終回生放送スペシャルでは通常問題と同じく9分割のマルチスクリーンが使われた
    また、2004年3月の『ぴったんこカン・カン春の祭典』では得点部分がデジタル表示となった
    スタート当初は総合計が記されなかったが、後に「TOTAL」と記された
  • 最終的に60点以上を獲得するとファンファーレが鳴り、天井に吊るされている板に乗った大量の紙吹雪と風船(赤チームは赤・橙・桃・白が各2個ずつ、青チームは青・緑・黄・白が各2個ずつの計8個)が降り、さらには客席から紙テープが飛んだ
    なお降ってきた風船は出場者あるいは観客の子供たちがもらうことができた
  • 得点と行ける人数は以下の通り(番組でのルール説明では、☆ではなく百太郎マークで表示される)
    • 120点以上…☆☆☆☆☆
    • 100点 〃 …☆☆☆☆
    • 80点 〃 …☆☆☆
    • 70点 〃 …☆☆
    • 60点 〃 …☆
    • 59点以下…0
  • クイズ中にハワイ旅行獲得が1人決定する毎に、関口がチームカラーの百太郎の帽子を解答者に被せ、最終的な人数が決定すると関口からハワイ旅行を獲得した解答者にLOOK JTBの旅行カバンを渡され、獲得出来なかった解答者と負けチームの解答者はチームカラーに白字で「見送り」と書かれたペナントの形をした旗を持つ
    またテレビ画面には「おめでとう!! ハワイの旅○名様ご招待」の字幕スーパーが表示される(1991年3月までは勝利したチームの色の文字で[4]
    1991年4月からは金色の

クイズダービー – Wikipedia

基本ルール

  • 毎回3チーム(初期は4チーム)の出場者と、5人(初期は6人)の解答者が出演した
  • 出場者チームは各問題に対して正答しそうな解答者を一人指名し、持ち点(3000点からスタート)の範囲内から100点単位で賭けていく
    解答者には問題の解答力に応じた倍率が設定されており、指名した解答者が正解した場合には賭け点と解答者の倍率をかけた得点が与えられ、不正解だと賭け点分のみマイナスとなった
    ただし、解答者が全員不正解の場合にはその問題での賭け点はすべて返された
  • 実際の競馬でいうと、出場者は「賭け手」、解答者は「競走馬あるいは騎手」、出場者の持ち点は「馬券」、解答者の倍率は「オッズ」、解答者のシンキングタイムは「競走」、解答者の正解は「1着ゴールイン」、出場者の得点獲得は「的中」、全員不正解は「競走不成立による全返還」に見立てたものである

問題

  • 通常は8問(初期は11問⇒10問:6人制・9問:5人制)出題され、1・3・5・8問目が一般問題、2・4・7問目が三択問題、6問目は音楽問題(巨泉は「作詞の問題」と呼んでいた)というのが基本である(まれに1問目で音楽問題や、三択が出題されたこともある)
    問題表示は、出題者が読み上げの最中にテレビ画面の下半分に水色のボードに手書きの黒い文字で表示されていたが、末期の解答者変動制になってからはテロップ表示となった(2回の復刻盤では水色ボードの黒い文字の手書き)
    なお、問題を解くカギとして、問題中にヒントが隠されており、そこから答えを連想することができた
    音楽問題は歌詞通りに書かなければならないが、一般問題と同様に問題のフレーズの周りの歌詞にヒントがあり、そこから予想していた
  • 出題は一般常識や時事関連、著名人のエピソード・名言、時代を反映したエピソード、事件簿、アメリカンジョークなどの珍問・奇問の問題が中心で、知識より勘やユーモアを問う問題が比較的多かった
    中には出場者のタレントに関するエピソード問題や、普通の辞書には載っていないユニークな漢字の出題もあった
    出場者に関係する問題については、解答に入る前に司会者から出場者に対して「○○さん(みなさん)は黙っていてくださいね!」と注意があった

倍率・オッズ

  • 基本的な倍率の付け方は、通常問題は1倍から10倍まで
    三択問題は1倍から7倍まで(初期は1倍から5倍までだった)
    最後の問題(合図として出題前に約2秒のチャイムが鳴る)では、設定された倍率がさらに2倍になった
  • 番組の初期は、司会の巨泉と、レギュラーオッズマンの藤村俊二と、ゲストオッズマン(ゲスト解答者と親しい人例・ゲスト解答者が植木等の時、ゲストオッズマンはハナ肇だった)の3人で解答者の倍率を決めていた
    これは、解答者の正解不正解を、競馬の予想マーク(◎○△×)で予想するもので、3人全員がマークを付けない状態では「10倍」であり、マークの種類と個数に応じて倍率が下がっていった
    ただし、どのマークでどれだけ下がるかの規則性は、番組内では明らかにされなかった
    なお、競馬の予想マークは倍率の下に表示していた
    その後、解答者が6人から5人に整理された際に、予想マークや倍率を下げるルールが廃止され、巨泉が単独で倍率を決める方法に改められたが、「最高倍率は10倍(最終問題は20倍)」というルールはそのまま継続された
    巨泉はこのリニューアルについてのちに「複雑すぎて視聴者に受け入れられず、視聴率が取れなかった
    それなら思いっきり単純にしようと思って、オッズマン制をやめた」と語っている
    要するに競馬等のギャンブルを全く知らない視聴者にもわかりやすくするためでもあった
  • 倍率は、概ね1枠・2枠・5枠には5〜10倍(三択問題では最大7倍だが、徳光時代ではゲスト解答者(ダニエル・カール、藤田朋子、松田聖子、加藤博一、久本雅美、赤井英和)に8倍が、更に瀬川瑛子に9倍が付いたことがある
    )、3枠と4枠には2・3・4倍(いずれも最終問題はさらに2倍)が表示されていたが、ごくまれに「1倍」がついたこともある
    「1倍」の設定は正解率の高いはらたいらが多かったが、その他の解答者でも専門・得意分野にちなんだ問題では「1倍」が設定されたことがあった
    また、番組初期から中期にかけてはごくまれに、はらに5倍、竹下にも5〜10倍(例:竹下が誕生する以前の時代での問題が出題された場合など)という高倍率が設定され、最終問題で彼らに10倍が出たこともある
  • 最終問題では倍率が2倍になるため、確実に2〜20の偶数がオッズになるのだが、初期は単純に1〜20倍の間で倍率が決められたため、最終問題の倍率が2桁の奇数になる場合もあった
  • 徳光への司会交代後の中期からは倍率が毎週ほぼ固定制になり、問題内容ã
    «å¿œã˜ãŸå€‹ã€…の倍率判断が全くなされなくなった
    (例えば、第809回、1991年10月26日放送分の1問目の主婦向けの問題に普段通りはらに2倍、竹下に3倍が付いたり、第791回、1991年6月15日放送分の山田邦子の「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド編)」の歌詞問題に、世代的にかなり有利と思われる井森に9倍が付く等
    因みにその問題に井森は正解した
    )また時々つけられていた「1倍」という倍率もつけられることが少なくなっていった
  • 倍率発表の際の司会者の決まり文句としては、以下のものがあった
    • 「倍率ドン!!」(倍率発表の際に発する)
    • 「倍率ドン! さらに倍!!」(最終問題で倍率が2倍になるときに発する
      主に巨泉)
    • 「倍率ドン! さらに倍してドン!!」(同上
      主に徳光)

点数賭け

  • この番組での的中時の配当は、日本における公営競技(中央競馬・地方競馬・競輪・競艇・オートレース)のパリミュチュエル方式ではなく、いわゆる「n to 1」というブックメーカー方式で行われており、持ち点を賭けた時点では持ち点が減らないルールになっている
    例えば3,000点を持っているチームが、3倍の解答者に500点を賭けて正解した場合の持ち点は「3,000+500×3=3,000+1,500=4,500」点となる
    不正解の場合は「3,000-500=2,500」点(倍率は関係ない)となる
    前述した「1倍」という倍率が存在したのはこのためである
  • 「全員不正解」という事態は、番組当初においては想定されておらず、初めて生じたときには、通常通り「不正解者に賭けた」こととして減点されたが、その翌週より「そもそも誰が正解しているかを当てるゲームであり、全員不正解というのは根本的にゲームが成立していない状態である」という見解(実際の競馬でいうところの「競走不成立」となった状態と同じ)に統一され、「全員不正解の場合、賭け点はすべて返す」というルールが追加された
    そのため、誰にも賭けられていない解答者が単独で正解した際に、巨泉がその解答者に「余計なことをしましたね~
    」などとこぼすのがお約束となっていた
    (特に高倍率傾向にあった1枠・2枠解答者に対して)
  • 点数の全賭けは殆どの場合、最終問題で行われた(全賭けで失敗し0点になると失格となりゲーム終了のため)が、第752回(1990å¹´8月11日放送分)の6問目でゲスト解答者の汀夏子(倍率は6倍)に緑チームがそのとき持っていた3,000点全てを賭けるという珍事が発生した(汀は正解した)

シンキングタイム

  • クイズの解答は、テーブルに設置されているロールペーパー式の解答用紙にマジックペンで書き、それを天井のカメラで撮ってモニターに映しており、文字は白抜きで表示された
    また新しい紙は、解答者から見て左側にあるボタンを押すと出て来る
    その為、モニターが開いている時(答えを開ける前の「クイズダービー」表示でない時)、解答用紙の所に手を置いたり顔が入ったりするとモニターに手や後頭部が映る、書いた解答が横にスクロールする所が見られる事もあった
  • 「草競馬」のBGMが流れている間は、解答の修正が認められていた
    最初の解答を抹消して改めて答えを書いたり、複数の解答を羅列し最終的な答えを○で囲んで答えとすることが可能であった
    このケースは特に篠沢秀夫が使用することが多かった

解答発表

  • 司会者の「せーの、ドン!」(番組開始当初は「ハイ!」)の掛け声とともに、解答者の頭上にあるモニターに解答が表示される
    正解の場合は正解した解答者のモニターの背景色が青から赤に変わり、倍率表周りのランプが点灯回転した
    さらに賭けられた解答者に対しては、ファンファーレ(番組開始当初は馬の鳴き声だった)が鳴らされ、的中した出場者の得点表周りのランプも点灯回転した
    賭けられなかった解答者が正解の場合、ファンファーレはなく、観客の拍手のみ
  • 解答の開け方には、順番に開ける場合と一斉に開ける場合とがあり、順番も以下に示すように、場合によってまちまちだった
第1問目
最初の問題では解答者の紹介を兼ねて1枠から順に解答を開けていった
その際、レギュラー解答者については先週の成績が「○問正解」ではなく、「○勝×敗」という表現で司会者より発表され(年初めの放送では、前年ä¸
€å¹´é–“の成績と勝率〈○割△分□厘〉を発表)、過去に出場経験があるゲスト解答者については通算成績が発表された
ただし、末期の週替わりレギュラー制となってからは、テロップで前回の成績が表示された
三択問題
三択問題では答えが3つしか存在しないため、基本的に一斉に答えを開いていた
答えを開ける際で、答えの分布が○:△:□=2:2:1の場合「3つに分かれました
○は2人、△は2人、□は1人」、○:△:□=3:1:1の場合は「○という答えが圧倒的に人気で3人、△は1人、□は1人」、○:△:□=3:2:0の場合「□と書いた人はいない、○が3人、△は2人」、4:1の場合「なんとひとりをのぞいてみんなおんなじこたえ!」といった決め台詞が存在し、その後一斉に全員の解答を開く「いっぺんに開けます
せーの、ドン!」(徳光が時々「せーの、ドン!」の所を「よーい、ドン!」ということがあった)という形式だった
また「なんと全員同じ答えです!」と言ったり、いきなり「いっぺんに開けましょう」との号令で、5人全員正解と言ったこともある(逆に全員不正解の場合もあり)
一般問題でも「一人を除いて皆同じ答え」で一斉に答えを開けたことが時折あり、その後大抵は「○○さん(篠沢教授、井森が多い)以外は全部正解」となるパターンだったが、たまに「○○さん一人だけ正解」「全員不正解」となったケースもあった
なお一人だけ正解の場合は、予め司会者がとある解答者に対して「○○さん、(『一人を除いて』のひとりは)あなたでは有りません!」と安心させていたが、そう言われた解答者は不正解であった
極稀にゲスト解答者が「一人を除いて皆同じ答え」の台詞を聞いた後に自分ではないかと思い込んで書き直し、不正解となってしまうこともあった
なお最終回を除く巨泉時代のすべての回(復活特番も含む)と徳光時代の回の途中までの回は問題表示の際、出題内容と選択肢を一括表示していたが、後者の途中から最終回までの回は出題内容と選択肢が別々に表示される形式へ変更され(出題者が選択肢を読み上げる際に、表示を切り替え)、同時に問題表示の書体もナール体へ一新された(一般問題も同じ)
その他の問題(一般問題)
一般問題(1問目以外)においては司会者の裁量で、大抵は誰からも指名がなくかつ間違えているだろうと思われる解答者の答えから順に開けていった(1・2・5枠のいずれかから開けることがほとんどであった
また奇を衒って、いきなり正解の解答者の解答を開けるといった演出もあった)
指名された解答者が全員不正解の場合、別の解答者を最後に残し、「○○さん(はらが多い)ができなければ、お返しします」の台詞で答えを開けており、この場合、大抵その解答者は正解であるが、たまに不正解で「お返し」となる場合もある
ただし同一解答が複数いる場合は一斉に答えを開けたこともあるが、はらと答えが同じで尚且つ正解の場合は、まずはらと答えが同じという事は告げずに解答を開けて正解、その後はらの答えも開けて正解という演出があった
番組開始当初は出場者の順番を追ってそれぞれ賭けた解答者から枠番で「ハイ、○番!」と解答を開けていた

得点・賞金

  • 最終的に獲得した点数がそのまま1点=1円で賞金となった
    最終問題に関係なく持ち点が10万点に達したか超過した場合、または0点になって失格とな
    った場合、そのチームのみその時点でゲーム終了となり、次の問題以降は参加できなくなる
    『クイズダービーベスト500』では10万点という点数をクイズダービーの合格点と定義している
  • 持ち点が10万点に達するか、それを超過した場合、賞金は10万円となり、10万円を超過した分は「TBSカンガルー募金」(現・TBS未来への生命募金)[7]に寄贈された
    これは製薬会社団体の紳士協定により、懸賞賞金が10万円までと定められていたためである
    1チームでも10万点獲得チームが現れると、番組のエンディングで流れるテーマ曲の一部分がファンファーレとして鳴るとともに、出場者席の背後にある電飾および得点表周りの電飾が点灯し、天井に吊るされたくす玉が割られ、大量の紙吹雪と極細の紙テープの固まり2束が降り注ぐ中、男性には白、女性には赤のダービーハットがアシスタントによってかぶせられた
    くす玉割りは毎日放送『アップダウンクイズ』の末期と同様、スタッフの機械操作で行われていた
    なお、字幕スーパーは一切出なかった
  • 10万点獲得は最終問題で「最後の賭け」の結果達成するパターンが大半だったが、前述した通り、まれに最終問題に至る前に10万点獲得に至ったチームも現れた
    例えば、1988年4月9日放送の奥田瑛二・麻生祐未ペアは、5問目終了時点で持ち点を71,000点まで増やし、6問目で3倍の竹下景子に20,000点賭けたところ、竹下が正解したため、持ち点が131,000点となった
    第614回、1987年11月7日放送分で、7問目時点で56000点持っていたチームが6倍の山崎浩子に16000点賭けたところ正解したため、152,000点を獲得した
    また、第7問目までに全チームがあわや10万点獲得に至るまでなろうとしていたことがあった
  • 大抵の回は10万点に達するチームが出たが、全チーム0点または逆に全チーム10万点となったケースも年に数回あった
    最終問題であっても、確実に
    賞金を持ち帰るために正解率の高い(倍率の低い)解答者(主にはらたいらや竹下景子)に賭けて10万点に届かなかったチームもあれば、全額を賭けずに少し点数を残したチームもあった
    中には計算違いをしたり、最終問題に至るまでに0点となり失格になったチームも存在した

ズバリ!当てましょう – Wikipedia

提示されたものの値段をノーヒントでズバリ当てることが課題である
ズバリ一発で当てると「ズバリ賞」として当時で100万円相当のナショナルの電化製品一式が賞品としてもらえた
放送開始当時はいわゆる家電ブームの真っ直中であり、当時の給与水準から考えると破格の商品、いわゆる「高嶺の花」であった
また、正解でなくても、「内輪で一番近い方は!」とみなされた解答者には問題となった品物がプレゼントされる
そして、最終的にトップ賞になると、ナショナルの電化製品一品(ズバリ賞で出される賞品の中から好きなものを一品選べる)がプレゼントされる
スタジオに展示されていたナショナルの電化製品一式には白物家電(冷蔵庫、掃除機、電子レンジ、トースター、洗濯機、アイロン、照明スタンドなど)、テレビ(家具調タイプとパーソナルタイプの2種類)、オーディオ(ステレオコンポ、ラジカセ)などのAV機器、自転車が置かれていた

「内輪で一番近い方は!」というフレーズのきっかけともなった番組で、これは当時の流行語にもなっている

1.予期された 2.瞬間の 3.エピソードとしての 4.蓄積された 「知覚と反応」 http://goo.gl/ocj4f

こんにちは、株式会社ECナビUIO戦略室の榎本です

「ユーザー・エクスペリエンス(UX)」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?直訳すると、「ユーザー体験」
普段意識しているかどうかはさておき、UXという概念は、Webプロダクトを開発する私たちにとって、とても身近なものです
UIOプロセスとUXの追求も、切り離して考えることはできません

今回は、特にWebプロダクトにとっての「UXとは何か?」「なぜUXを考える必要があるのか?」について考えてみたいと思います
さらに回をあらためて、本題の「UXとWebAnalyticsとは?」についても考えてみたいと思います

やってる人はやっている

ユーザーエクスペリエンス(UX)、あるいはユーザーエクスペリエンス・デザイン(UXD)という言葉は、人によっては新しいものかもしれません
しかしながら、特にUXDの概念については、人によっては「前からやってますけど何か?」という程度のものかもしれません
優れたプロダクトの作り手はUXDの概念や方法論を学ばずとも、自然とやってのけています
代表格はスティーブ・ジョブズでしょう

「我々が作っているのはコンピューターではなく、”体験”である

「いいデザインをしようと思えば、まず真に理解にする必要がある
それが何なのか、心でつかむ必要があるんだ

彼が見ているものは何なのでしょう?それを理解するためのヒントが、これまでUX研究者が導き出した概念に含まれているのではないかと思います

なぜUX?

私たちは、ユーザーに対して直接、自社開発のWebプロダクトを提供しています
そんな我々の願いとは、なんでしょうか?

  • 我々は、利用者に愛されるWebプロダクトを作りたい
  • どのようなWebプロダクトならば、より多くの人に、より多くの時間、使ってもらえるのか?を知りたい
  • なぜなら、ユーザー数と利用時間が事業価値に直結するから

このような事業を行っているという前提に立ったとき、以下の観点が生まれます

「使い続けてもらう」必要がある

私たちのプロダクトの対価は、「広告」または「課金」といった方式でユーザーまたは広告主から徴収されます
事業の価値を最大化するためには、「できるだけ多くのユーザーに、できるだけ長期間使ってもらうことがよい」というモデルが多くを占めていると思います
というよりも、それを前提にビジネス・プランをたてているのではないでしょうか

多くの場合、ユーザーは大金を払う必要はありません
無料か、数百~数千円の課金が多いでしょう
ということは、気軽に利用をやめる/他のプロダクトへ乗り換えることが可能です
「10万円も支払ったのだから、元をとるまで我慢して使う」ようなことは稀でしょう
(スイッチングコストが低い)

「利用体験」を幅広くシェアされるようになった

実際使ってみてどうだったか、をユーザーが伝え合う
いわゆる「口コミ」ですが、利用者の感想は即座にかつ長期間にわたり、インターネットで伝播します
売れたらしまい、ではないということです
感動体験が伝播すれば、瞬く間に大量の利用者を獲得できることになります

「エンゲージメント」を維持するには方法論が必要

高度なインタラクションが発生するWebプロダクトにおいては、必ず実現すべきクオリティとして、利用中のエンゲージメント(没入)があります
これを維持し、破壊しないことが「使われる」ために最低限必要となります
Webサイトは、インタラクション設計の自由度が高いぶん、ユーザーが操作した時にエラーが発生しやすくなります
「ユーザビリティ」に代表されるようなこの手の品質は、UXの一側面でしかありませんが、特にWebサイトにおいては、エンゲージメントのクオリティについて積極的に設計・評価できるべきです

UXを知り、設計し、検証できるようになる必要がある

このような状況の中で、我々が知るべきなのは、
「プロダクトの何がユーザーの利用意欲を高めて(削いで)いるのかを知る

ということです
そして、そのためには、この場合「利用意欲」といわれるような「満足感」の一要素は、どのように形成されているのか?を、インタラクティブなモノづくりをする上では押さえておかねばなりません
これがUXといわれる分野です

さらに、ゴールとしては、
「ユーザーの利用意欲を高め続けるようプロダクトをデザインする」必要があります
これが、Webの世界でのUXデザインという領域です

UXDをプロセスとして組織に導入する理由

UXDを実現するものとして、例えばHCD(Human Centered Design)というデザインプロセスがあります
HCDに代表されるような体系だてられたプロセスを、チーム全員が学ぶ理由
それは、全員が「モノのデザイン」ではなく、「コトのデザイン」に視点をおけること
個人的には、この理由は小さくないと思います

どういうことかというと、「プロダクトの顧客価値」=「機能」ではありません
「プロダクトの顧客価値」=「使うことで生活がどれくらい生活が豊かになったと利用者が感じるか?」ということです
私たちの多くは、「このモノを使ったら、こんなすてきなコトに!」という着想を得てつくりはじめるにもかかわらず、いざプロジェクトがローンチすれば「すてきなコト」ではなく「このモノ」に没頭してしまいがちです
作業として、作っていくのは一つ一つの機能です
膨大な機能要件リストをこなし、作り手は「これはすごいものを作ったぜ!」と満腹になってしまうのはよくある話です

「機能」と「価値」をつなぐ役割が、UXDです

図で示すとすると、弊社藤井が書いたジェネシックスのモノづくり哲学がイメージしやすいかもしれません

UXとは何なのか

さて、ユーザー・エクスペリエンスというのは様々な定義が氾濫していますが、今のところもっとも国際的なコンセンサスが集約しているであろう、二つのリソースを参照してみたいと思います

ISO 9241-210

ISO 9241 「Ergonomics of h
uman-system interaction」 のサブパートの一つである9241-210において、UXとは:
製品やシステム、サービスの利用、および/もしくは予想された使い方によってもたらされる人々の知覚と反応
とされています

ここで注目すべきは、2点
「予想された」すなわち、実際にプロダクトを使っていない時間も対象となっていること
「知覚と反応」については、利用者/関係者における内面の出来事だということです

UX White Paper

2011年2月に公開されたUX White Paper(PDF)は、世界中のUX研究者の意見を集約したもの(日本からも)となっています
ここでは、UXを大きく3つに分類してたり、UXの構成要素について触れていたりして、ベーシックながら目を通すのは面白いと思います

さて、詳細は本紙をご覧いただくとして、ここで興味深いのは、UXのタイム・スパンについて触れられていることです
タイム・スパンの観点からUXを4つの種類に分けられています

  • プロダクト利用前に想像することで経験する「予期された」UX
  • プロダクト利用中に経験する「瞬間的」UX
  • プロダクト利用後に振り返ることで経験する「エピソードとしての」UX
  • これらの繰り返しによる「蓄積された」UX

ここでも、「プロダクトを使っていない時間」も対象になっています
ユーザーがその「モノ」ではなく、その「コト」に触れるときでも、「モノ」に関するUXは発生しているということです

なぜプロダクトがなくてもUXなの?

確かに、ユーザーはプロダクトを使ったことのことを思い出したり、予想したりすることはあります
またそれによって何らかの現象がユーザーの中で発生していることでしょう
だからといって、Webサイトを使っていないときのことまで考えることは、ビジネスにとって何の意味があるのでしょうか?
これには理由があります
そして、そこを考慮できていないとすれば、UXデザインができているとは到底いえないほど、重要なことなのです

ここで、千葉工業大学の安藤昌也氏のスライドを引用させて下さい

この資料によれば、Marc Hassenzahlが提唱するUXのモデルに、Hedonic Quality(快楽的品質)というものがあります
Hedonic Qualityは、UXだからこそ対象となりうるQualityであるといえるでしょう

では、「モノ」ではなく「ユーザーの内面」で発生するHedonic Qualityは、当然、ユーザーの内面の状態に左右されることが予想されます
同スライドに記載されている安藤氏の研究によれば、インタラクティブ製品の
「利用意欲」は、「製品関与」「自己効力感」という2つと因果関係があるようだ、としています

利用していない時のUXが、利用時のUXを決定する!?

「興味や知識をうえつけ、使える実感を醸成する」、といった利用前の期待値形成がUXの中でとても大事だということです
そう、プロダクトを利用していないときのUXですね

同じく安藤氏によるスライドで、Webプロダクト向けに超シンプルにまとめられたものがあります

ここでは、「ことWebにおいては、利用前(間)→ランディング時の、期待値形成→期待値調整のチューニングが肝要」ということがいわれています

UXDとは何なのか

ユーザーの体験タイムラインをデザイン

UXは、時間とともにダイナミックに変化すします
よって、裏返せば、時間に沿ったユーザーの内面の変化をデザインすることがUXデザインの重大な側面となってきます
それゆえ、時としてUXデザインというよりも、「シナリオ・デザイン」「ストーリー・デザイン」と言い換えたほうが誤解を避けられてよいくらいだと思います

昨今、「ストーリー・テリング(Story Telling)」が注目されているのは、そういうわけでもあります(ちなみに、UXDのためのストーリー・テリングに関する国内プロジェクトも年内にアウトプットが出そうですし、目がはなせません)

どうやるのか

IDEOに代表されるような、イタラティブなHCDプロセスを基本的には踏むことになります
ビジネス要求とユーザー要求の本質を素早くつかむこと
できるだけ素早くプロトタイピングすること
それらを高速で繰り返すこと

UXデザインプロセスについては、日本語でも多くのリソースが転がっていますので、ここでは省略します

UXD≠UX

有名な「ギャレットのThe Elements of User Experience」や「The User Experience Honeycomb
は、「UXD」の構造やコンセプトを提案しているのであって、これ自体は「UX」ではありえないはずです
このあたりの言葉の使い方が、混乱を招いていると思います

まとめ

  • ユーザーの「満足感」、その構成要素で特に「利用意欲」の継続的な創造が成功を左右するビジネスである
  • そのために、UXおよび関連分野の研究成果を知っておくと、思考ツールとして役立つ
  • UXデザインとは、「満足感」のデザインであり、それはユーザー内面の「時間の流れ」のデザインである
  • Webサイトを開いていないときもUXは発生するし、UXデザインの対象である

参考

なぜUXを考えるのか « ECナビUIO戦略室ブログ

二十の質問 – Wikipedia

  • Q1「それは生き物ですか」A「はい」
  • Q2「それは抱くと暖かいですか」A「はい」
  • Q3「それは飛べますか」A「いいえ」
  • Q4「それは私より大きいですか」A「はい」
  • Q5「それは私が飼うことが出来ますか」A「いいえ」
  • Q6「それは肉を食べますか」A「いいえ」
  • Q7「それにはふかふかの毛皮がありますか」A「いいえ」
  • Q8「それは黄色ですか」A「いいえ」
  • Q9「もしかして象ですか?」A「その通りです」

派生ルール
出題者が予めジャンルを予告しておく。

福島第一の放射性物質の影響について – FRANCE MEDIA NEWS 福島原発と東北関東大震災に関するフランスメディア・ニュース

福島第一の放射性物質の影響について

 

CRIIRADの科学チームは、524日より以下3つの目的で日本の状況を現地調査をしている。

 

 

1)調査

ブリュノ・シャレロン(Bruno Chareyron)CRIIRAD研究所責任者、原子物理学技師)とクリスチャン・クルボン(Christian Courbon)(フィールド調査専門技術者)は、524日より茨城県から現地測定を始め、2日前より福島県入りしている。汚染地域の居住者が被る放射能レベルを測定し、環境汚染レベル及び食品汚染を測定し、公式測定結果が現地の実情を正しく伝えているかどうかをチェックすることが目的。

 

 

2)研修と備品提供

CRIIRADは、1ヶ月前より、人の健康、特に子供の健康への影響を最大限に抑えるため、環境における放射線調査に乗り出した市民や市民団体に情報と備品を提供する活動をしている。CRIIRADは、そのパートナー団体(特に「PROJET 47」)に対して15,000ユーロ以上の備品を貸与し、食品調査に充てる備品購入費用を提供した。PR0JET 47 の目的は、被災地により近い場所で現地団体と連携し、独立した無料の調査ステーションとを設置することである。1ヶ月以上前より、PROJET 47代表岩田渉(わたる)氏とともに研修活動が活発に行なわれている。岩田氏は現在CRIIRADチームと現地で調査に関わり、成果も徐々に出てきている。

 

 

3)人的被害を最大限に抑える

CRIIRADは、25年来蓄積した経験と国際的に得た信頼性の全てを、人間の放射能汚染保護の向上に捧げるべく全力を尽くしている。

 

a / 居住者の放射能照射レベル調査において確認された重大な欠如、人間の放射能保護措置の実施における深刻な不足要素(特に312日から16日の最も深刻な時期)についてまとめる

 

b /  ここ2ヶ月来目立つ情報不足についての分析(1986年、フランス政府は「チェルノブイリはウインタースポーツ2週間分に相当」と繰り返していた。2011年、日本では「福島第一はスキャン1回分に相当」とされている)

 

c / 居住者、特に子供や胎児の放射能照射を最小限に抑えるため、国内外レベルで活動が始まっている。放射能保護規格(1年に20ミリシーベルト)の問題と食品汚染問題は日本国外まで広く及んでいる。福島第一の影響は、今日国籍を問わず地球市民に関係する問題である。

 

 

 

講演および情報会議プログラム

 

529日(日) 午前11時〜午後530分まで 福島市にて

 

住所  福島市大町4-15 チェンバおおまち 3階 電話番号:024-526-4533

 

子供達を放射能から守る福島ネットワークの協力により、ブリュノ・シャレロン(CRIIRAD)氏と岩田渉氏(PROJET 47)が以下の予定で参加します。

 

午後1時〜
3時: 食品汚染の測定ワークショップ(消費者、生産者向けに無料測定)

 

午後330分〜530分(延長可能性あり): 講演及び一般公開議論。放射能照射可能性の理解、保護の方法(とその限界)、放射線保護規格の問題などを軸に説明。参加者からの情報とアドバイス要請に大幅に時間を割く(避難、学校の調査、交通や娯楽に関連する特定の危険、補償問題、健康上の危険、除染の可能性などについて既に多くの質問を受けている)。

 

 

530日(月) 午後1時より 福島市で記者会見

 

参加者:ブリュノ・シャレロン(CRIIRAD)氏、岩田渉氏(PROJET 47

住所: 福島市曽根田市1-18  MAXふくしま 4 AOZ

電話番号:024-533-2344

 

 

61日(水) 午後1時より 東京にて記者会見

 

住所: 千代田区内幸町2-2-1 日本プレスセンタービル 10階ホール 日本記者クラブ

言語: フランス語、日本語

電話番号:03-3503-2721 

メンバー以外の方、個人的なインタビューについては以下電話番号まで登録要 090-6193-0331

東京にて2回目の記者会見(英語)の予定あり(特に海外特派員向け、及び教育・情報ワークショップ)

 

 

リンク: http://www.criirad.org/actualites/dossier2011/japon_bis/sommaire.html

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ゴルフ用サングラス!「GDO」と「パリミキ・メガネの三城」から 日刊!目のニュース

「君は不思議に思わなかったのかい」 @Qetic

俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
産まれたときから耳が聞こえなかった俺は
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が
あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だとわかると
俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。

だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。

手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、
ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。

その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。

493 :2/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:51:13

そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。

何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、
咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、
泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、
多分「死にたい」という事を手話で表した時だと思う。

先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。

先生は泣いていた。

そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

494 :3/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:51:48

ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。

そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

「君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。」

たしかにそうだった。
俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ・・・

「君の父親は僕にこう言ったんだ。

『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』

驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・
でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。

その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」

495 :4/5 投稿日:2006/02/13(月) 05:52:20

聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。

耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。

幸せになろう。そう心に決めた。

今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。

父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。

496 :5/5 聞いてくれてありがとう 投稿日:2006/02/13(月) 05:53:09

俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」
父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかった。

「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん。」

最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。

「ありがとうございました!」

俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく