五感で捉える「食」の体験|LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

2018.04.18 WED

斎藤和弘
Kazuhiro Saito

五感で捉える「食」の体験

かつてライフスタイル誌、モード誌の編集長を歴任してきた筆者が現代のラグジュアリーについてつづる連載。今回は世界中のレストランや料亭を巡ってきた筆者の体験を振り返りながら、「食」とラグジュアリーについて考えます。

(読了時間:約4分)

Text by Kazuhiro Saito
Photograph by Tetsuya Yamakawa
ART&DESIGN FOOD LUXURY

「食」と「テクノロジー」

私は『太陽』から始まり、『BRUTUS』や『VOGUE JAPAN』、『GQ』など雑誌の編集者を40年弱続けてきました。そのため、「食」に関しては仕事として頻繁に扱ってきたつもりです。編集の現場にいたころは新しいレストランができたら欠かさず行っていましたし、年365日中、300日くらいは外食でしたから。フレンチ、中華、イタリアン、和食──ジャンルを問わず「有名店」とされるようなお店にも多く訪れてきました。

現場を離れてからもしばらくは体に癖が残っていたのでさまざまなレストランに行っていたのですが、試しにやめてみたらまったく行かなくなってしまったんです。よく考えてみると、自分の舌がそういったお店を求めているわけじゃなくて、仕事上の興味しかなかったわけです。小さな子どもがいるので入れる店が限られてしまうこともありますが、今ではあちこち出かけることはほとんどなくなってしまいました。今回は、こうした体験から食とラグジュアリーの関係について考えたいと思います。

食に関してこの30年で一番衝撃を受けたのは、スペインの三ツ星レストラン「エル・ブリ」ですね。エル・ブリは「分子ガストロノミー」と呼ばれるような、料理を科学的に再解釈するような調理を行うことで知られていますが、あれ以降料理は変わってしまったんじゃないかと思います。簡単に言えば、料理が「実験」のようになってきた。今では「土」や「炭」を食べることさえありますよね。

もともと私が家庭的な料理を好んでいたこともあるのですが、エル・ブリを体験して、21世紀の食事はこういうものなのかと思ったらちょっと興味がなくなってしまって。もちろんおいしいものもありますし、「食」や「おいしさ」の概念を更新するようなところもあるんだけれども、それが「ラグジュアリー」かと言われると怪しいところがある。

では、食におけるラグジュアリーとは何なのか。自分の体験を振り返ってみた時に、これはラグジュアリーだったと言い切れることがあります。それは5年ほど前の自分の誕生日のこと。夕方、家に帰ってドアを開けたら、そこに三つ星の和食の料理人が立っていたんです。誕生日を祝うためにパートナーが呼んでくれたみたいで、私の家のキッチンで料理人がアシスタントも使わず一人ですべての料理をつくってくれたんです。それはとてもラグジュアリーな体験でしたし、この体験にこそ食におけるラグジュアリーのヒントがあります。

味覚だけではない体験

『BRUTUS』で和食特集を組んだとき、さまざまな専門家に会っては同じ質問を投げかけていたんです。「なぜ料亭の食事は高いんですか?」と。大抵の人は「時期に合わせた最高の食材を使うから高いんです」と返す。でも、そんなことは私も知っている。当たり前のことでしょう。本当にそれだけなのかなと考えていた時に、『日本料理大全』など料理本の編集をされている人が初めて違う答えを返してくれたのです。

「もしあなたが恋人と恵比寿のタイユバン・ロブション(現在のジョエル・ロブション)に行ったとしましょう。そこではあなたのためにひとつのテーブルが用意されていて、そのテーブルを囲む数時間の体験のためにあなたは数万円から10万円ほど支払います。では、あなたが築地の金田中に行ったとしましょう。夕方料亭を訪れると下足番が靴をとってくれて、仲居さんが部屋へ案内してくれる。部屋は広々としていて、床の間の掛け軸も、障子も庭もその日のあなたのために用意されている。これで一晩50万なら安いと思いませんか?」

なるほどと思いました。つまり、食におけるラグジュアリーは必ずしも「食べ物」にあるわけではない。「時間とサービスのすべてを提供する、つまりおもてなしです」とその方に言われて、この人と仕事をしようと決めました。

結局、食事は味覚だけで決まるものではなくて、そこで過ごした時間やホスピタリティなど五感を通じた体験すべてが含まれているわけです。例えば以前パリの三ツ星レストラン「アラン・デュカス」に行った時にもサービスに感動を覚えました。ギャルソンがほぼ無言なんですね。でも、こちらに不満は感じさせない。何か欲しいとこちらが思ったら、自然にスッと出てくる。この感動は味覚からではなく、体験全体から来るものでしょう。

だから、最終的にはフレンチであったとしても、和食の料亭であったとしても、サービスのあり様は一緒になっていきます。なぜなら、サービスとは、お客さんがどういうことをされたら喜ぶかを考えることだからです。もちろん、食事のシステムやお店のノウハウはあると思いますが、その人が何を楽しむか、どうしたら喜ぶかを考えることが求められる。お店が趣向を凝らしたサービスを提供していたとしても、それがただのわがままだったらお客さんとしてはただの迷惑なわけですから。

どういった時間・空間で食事をすれば五感が快楽を感じるのか。その問いを突き詰めていくと、私の場合は「家」が答えになるんです。色々なレストランに行ったことはありますが、やはり一番落ち着くのは家ですから。だからこそ、前述した誕生日の経験は私にとって間違いなく「ラグジュアリー」なものだったのです。

食に限らずファッションや建築などどんなものについても言えますが、高価なことだけが「ラグジュアリー」ではありません。接している相手のことを考えて、一人ひとりの「答え」を見つけ出していくこと。その営みの中にこそ、「ラグジュアリー」はあるのかもしれません。

情報源: 五感で捉える「食」の体験|LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

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