私はあるべき姿を追い続ける |LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

2017.10.09 MON

斎藤和弘
Kazuhiro Saito

私はあるべき姿を追い続ける

かつて『GQ JAPAN』や『VOGUE NIPPON』といったライフスタイル誌、モード誌の編集長を歴任してきた筆者が現代のラグジュアリーについてつづる連載。今回は建築史を題材にモダンとポストモダンについて考察します。

(読了時間:約4分)

Text by Kazuhiro Saito
Photograph by Tetsuya Yamakawa
ART&DESIGN SKILL

“あるべき姿”と“ある姿”

私はモダニズムというものに異様に惹かれています。モダンとは、人間・社会のあるべき姿を追求した時代のことです。人は古代、自然、宇宙、未来に惹かれるといいますが、私にはそれがなく、20代の頃からずっとモダンに何かがあると思っているのです。理由はわかりませんが、とにかく私はモダンに惹かれています。私が生きてきた時代が日本におけるモダニズムにあたるので、特に驚きはしませんが。

人間・社会のあるべき姿を追求するという発想から、人権や言論の自由が生まれましたが、これはモダン以外の何物でもありません。当時の人々は幸せになるためのロジックとは何かを考え、ゼロからあるべき姿を作り上げていきました。モダンの対となる存在として、ポストモダンという概念があります。ポストモダンの定義とは、あるべき姿をやめるということ。言い換えると、人間・社会として、ある姿に戻るということです。もっと言えば、ポストモダンとはムードやニュアンスといった感覚的なもの。現代はまさにポストモダンの時代ですが、かっこいい、かわいいといった極めて気分的で非ロジカルなものに、私はまったく心を動かされることはありません。

ご存じの方も多いかもしれませんが、ポストモダンとは、もともとは建築用語でした。建築のモダニズム、その代表格はル・コルビュジエ、ミース・ファン・デルローエ、フランク・ロイド・ライトといった建築家たちです。建築界の巨匠である彼らが手がけた建物に共通している要素はガラス、鉄、コンクリート、直線。これらには、いかに合理的に建物をつくり、かつ無駄な装飾を省こうとする機能的な意図が表れています。建築におけるモダニズムの定義は、民衆が豊かに暮らせるための建物・場所という考え方です。誰かのために装飾があるという考え方ではなく、極めてクールに建物を作り上げていく。合理的で機能的なモダニズム建築の時代は100年弱続きました。しかし、「あるべき姿論は成立しないのではないか」という批判からポストモダン建築の時代が始まります。

モダンからポストモダン、その先の時代とは?

日本におけるモダニズム建築の象徴は、やはり安藤忠雄さんです。逆にポストモダン建築の有名な建築家は隈研吾さんです。1991年に隈さんが環状八号線沿いに建てたM2ビルをご存じでしょうか。現在は葬祭場として存在していますが、その脈絡のないカオスな外観は木材などの自然素材を生かした現在のスタイルをまったく感じさせません。きっと「本当に隈研吾の作品なの?」と衝撃を受けるとことでしょう。

かつて『CASA BRUTUS』という建築を扱う情報誌を創刊した私は、何度も安藤さんを誌面で紹介してきました。安藤さんはモダニズム建築の極致です。日本において、建築のモダニズムというものを自覚する以前にポストモダンの概念に出会ってしまった人が非常に多く、そのため、“バブル建築”と揶揄されるポストモダン建築の中で、モダニストである安藤忠雄さんの作品は新鮮に映りました。

私は、重厚な都市空間のなかには合理的かつ機能的なモダニズム建築以外のものは成立しないと考えていますが、どういうわけか日本の建築はスクラップ・アンド・ビルドの文化。極端なことをいえば、20年くらい経てば建て替えてしまおうという考え方です。だって、日本建築学会賞を受賞した建物が次々に取り壊されてしまうという国なのですから。たとえば、モダニズム建築にあたる、かつての中央公論のビルは芦原義信が作った第1回日本建築学会賞を受賞していますが、ものの見事に潰されてしまいました。ヨーロッパの街並みには重厚感のある建物が残り続けているのに、どうして日本はそうならないものか。私にはまったく理解できません。

ところで、モダンからポストモダンへと主義が移っていったように、現代はインターネットやテクノロジーが私たちの生活と密接に関わっています。それを踏まえた上で、次に時代の何かが切り替わるとするならばいつなのか。私が思うに、それはAIが人間の能力を超える時代とされる2045年ではないでしょうか。俗にいうシンギュラリティです。でも、それは私には興味のないことです。メールやチャットなど、気づけば仕事のシステムがテクノロジーに支配されていますが、私はいまだにスマホすらうまく使えないのですから。なので、これからも私にとってのあるべき姿を追い続けていこうと思います。

情報源: 私はあるべき姿を追い続ける |LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

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