ラグジュアリーは“非”合理? “反”合理!?|LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

2018.05.04 FRI

斎藤和弘
Kazuhiro Saito

ラグジュアリーは“非”合理? “反”合理!?

『GQ JAPAN』をはじめ数々のライフスタイル誌やモード誌の編集長を歴任してきた筆者が、現代のラグジュアリーについてつづる本連載。最終回となる今回は衣食住へとテーマを広げながら、プレミアムとラグジュアリーの差異を捉えます。

(読了時間:約5分)

Text by Kazuhiro Saito
Photograph by Tetsuya Yamakawa
ART&DESIGN FUTURE LUXURY

衣食住のラグジュアリー

私は1955年生まれなので、戦後から現代に至るまで社会の変遷をずっと眺めてきました。今回は衣食住のラグジュアリーがどのように移り変わっていくのか時代の流れを振り返りながら考えてみたいと思います。

まず、戦後というのは経済成長の時代でした。戦前のカルチャーが破壊されて、発展途上の状態になってしまったわけですから。1868年の明治維新から1940年頃まで約70年かけてつくってきたものをなくして、ゼロからもう一度始めなければいけなかった。

独断と偏見からいえば、経済成長のなかでどういった順番で発展してゆくかというと、衣→食→住だと思うんです。ファッション、食事、住居(建築)という順番。特に日本では、環境的に広さが求められないうえに高額なので、住居が一番最後になってしまう。

ファッションが最初に発展してゆくのは、一番手頃だからです。だから、1960年代からファッションはどんどん色々なものが出てきました。80年代にはDCブランドブームみたいなものも起き始めて、急激にファッションは広がっていった。その後、ラグジュアリーなものも普及していったんです。洋服は価格帯がそこまで高くないので手が出しやすいし、外に出たときに自分をよく見せられるのでわかりやすいですから。

次に発展していったのが食事です。1990年代に入ると食ブームが始まって、人々が料理人やレストランの名前を覚えるようになってきました。『料理の鉄人』という番組が放送されてブームが起きたのも90年代のことでしたが、70年代や80年代には有名な料理人なんていませんでしたから。そのあとでやっと建築ブームが起きて、安藤忠雄氏を筆頭に建築家の名前が前景化するようになってきたわけです。

「ブーム」は何をもって「ブーム」と呼ぶかというと、ブランド化していくことなんです。ファッションの場合はそれこそファッションブランドもそうですが、デザイナーが有名になっていく。食の場合は、シェフやお店がまるでブランドのように有名になっていったし、住居の場合は建築家が有名になっていきました。それまでは普通の人が建築家の名前を知っていることなんてなかったわけですから。

価格からラグジュアリーは生まれない

前回、「食」においては味覚だけではない体験がラグジュアリーを生み出していくと書きましたが、やはり食はラグジュアリーのなかでもかなり手頃なジャンルでした。安藤忠雄氏に家をつくってもらおうとすると大変ですけれども、レストランならどんなに高級でも4〜5万円あれば食べられますから。ランチならもっと安いですし。だから食はものすごく広がっていったんですね。

こうした発展が続いた結果、生まれたのが「デパ地下」なんだと思います。百貨店は売り上げがシュリンクしてきていると言われていますけれども、唯一デパ地下は売り上げが伸び続けています。なぜかといえば、デパ地下のものは買えそうだからでしょう。伊勢丹新宿本店が青果コーナーを縮小して床を大理石張りにした瞬間から、デパ地下は別の世界になっていきました。いまや食のワンダーランドともいえる状態ですよね。

ファッションだって建築と比べればはるかに手頃ですけれども、ちょっとしたラグジュアリーなバッグを買おうとすると20〜30万円してしまう。その点、食の場合は例えばケーキならデパ地下に行って数百円を払えばラグジュアリーなものが手に入る。価格から考えるならば食の上限はたかがしれているんです。だからこそ、前回書いたように、食べ物単体の価格や原価、素材の希少性で考えても意味がない。体験全体で考えてないと、食のラグジュアリーは生まれてこないのです。

ファッションだって、原材料費だけ考えればそこまで高くないでしょう。でもそこにブランドやデザイナーが絡み合うことでラグジュアリーが生まれてくる。言ってしまえば、ファッションのラグジュアリーってブランドやデザイナーへの「思い込み」からつくり出されてくるようなところがある。

プレミアムとラグジュアリー

これまでこの連載ではさまざまな観点から現代における「ラグジュアリー」について思索を巡らせてきました。最終回となる今回は、最後に「プレミアム」のことを考えておきたいと思います。

近年、「プレミアム」という言葉を見かける機会が増えています。この言葉が使われるときはしばしば普通より高級な商品や体験が提供されるので、「ラグジュアリー」とどこか似ているものとして捉えている人もいるかもしれません。ただ、「プレミアム」と「ラグジュアリー」はまったく違う概念なのです。プレミアムのなかからラグジュアリーが生まれることはありません。

プレミアムであることの条件は何かというと、「コストパフォーマンス」がいいことなんです。普通の商品より色々な機能がついてきたり、おまけになるようなサービスを体験できたりする。事実、英語の「premium」という単語は何かに対する「賞品」や「割増金」という意味をもっていますし、「おまけ」の意味で使われることもあります。

一方で、「ラグジュアリー」においては、むしろコストパフォーマンスが悪いことがよくあります。衣食住においてもそうですし、ガジェットや趣味の対象となるものもそうです。コストパフォーマンスだけみれば、料亭の食事やハイブランドの洋服が優れているとはいえないでしょう。ガジェットだってそうで、普段使うにしては異常にオーバースペックなものがあったりする。コストパフォーマンスが悪いことをラグジュアリーの条件のひとつといってもいいくらいかもしれません。

日本でも新たなラグジュアリーを生み出そうとする試みは次々と生まれてくるでしょう。そのとき、高級志向の捉え方を誤ってプレミアムな方向に走ってしまうことがままあります。しかし、その方向をいくら突き詰めてもラグジュアリーにはたどり着けません。ラグジュアリーとは、「合理性」から外れているものなのですから。これからのラグジュアリーブランドは合理性を超えていくことを考えなければいけないのだと思います。

情報源: ラグジュアリーは“非”合理? “反”合理!?|LEXUS ‐ VISIONARY(ビジョナリー)

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