「国民性は小学校の教室から作られている」5カ国の小学校を渡り歩いた女性が語る日本の可能性とは? 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

福井しほ2018.11.16 08:05dot.

キリーロバ・ナージャさん(撮影/福井しほ)

議論好きなフランス人、和を尊ぶ日本人。これらの国民性が小学校の教室から作られているとすれば、どう思いますか?

両親の仕事の都合で旧ソ連(ロシア)、イギリス、フランス、アメリカ合衆国、日本と5カ国の小学校を渡り歩いたキリーロバ・ナージャさんは、国や地域によって教室や勉強の仕方があまりにも異なることに衝撃を受けた。この体験を自身が連載するコラムで発信すると教育者の間でたちまち大反響を呼び、絵本『ナージャの5つのがっこう』(大日本図書)が生まれた。ナージャさんがAERA dot.に語った各国の国民性の驚くべき違いとは―――?

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突然ですが、質問です。小学校の教室、覚えていますか?

教室内にずらりと並べられた四角い机には1クラス30~40名ほどの生徒たちが座り、無垢なその視線の先には教師が立つ。みんな一様に大きな黒板を見つめ、先生の話を聞く。学校によって多少の違いはあれど、多くはこんな光景だっただろう。

でも、これって、どの国も同じなのだろうか?

机を縦横きれいに整頓して授業を受けるのが当たり前――そう思っていたが、世界中で日本と同じような「教室」になっているのだろうか。

ナージャさんは、まだソ連だった時代のレニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。小学2年生の時にレニングラードを出たのを皮切りに、1990年代にイギリス、フランス、アメリカ合衆国、日本と計5カ国を移り住んだ。慣れない土地と言葉、価値観に戸惑う毎日。シャイだというナージャさんは、周りのクラスメイトや教室をじっと観察していた。すると、各国の教室の違いに気付いたという。

■私の手柄なのに! 優越感を楽しめなかった私の変化

あらためて、ナージャさんが移り住んだ5カ国を、ざっくりと整理しておこう。

・ソ連(6~7歳の約7カ月間)
・イギリス(8歳の約5カ月間)
・フランス(8~9歳の約半年間)
・東京(9~10歳の約1年間/11~12歳の約1年間)
・アメリカ(10~11歳の約1年間)

実際は、ソ連・レニングラードから京都に引っ越した時期もあったが、小学校ではなく弟とともに保育園に通っていた。また、中学時代はカナダにも移住したが、今回は小学校に絞って見てみよう。

まずは、イギリス・ケンブリッジでの話から。ナージャさんが通った小学校は、5~6人で一つの机を使う「グループワーク」スタイルだった。ナージャさんが当時を思い起こす。

「イギリスのがっこう」の教室 (c)Jun Ichihara

「テーブルごとに評価されるので、私が英語を話せないでいると同じグループの子が教えてくれます。英語を話せない日本人の女の子もいましたが、算数が得意で他の子に解き方を教えてあげていました。ロシアはグループワークをしないので、やはり個人主義の子が多くなる傾向にあります」

ロシアの教室では、日本と同じように黒板に向かって子どもたちが座る。横長の机一つに二人で座るのだが、男女がペアになり、左側に男の子、右側に女の子が座るケースがほとんど。座席も固定で席替えは滅多にない。だが、イギリスに移った途端、いくつか置かれた机をぐるっと囲むように座るグループワークに変化。言葉よりも大きな「壁」を感じた。

「最初は自分が解いた問題を隣の子に教えてあげるのに抵抗がありました。だって、私の手柄じゃないですか? 優越感を楽しみたいのに、私より算数ができない子に答えを教えなきゃいけない。でも、途中から『みんなができることのほうが嬉しい』と感じるようになるんです。そうなると、隣の子ではなく隣のグループと競争することに変わってくる。独り占めせずに教えるようになると、どうすれば分かりやすいかを考えるようにもなるんです」

競争の前に協調。ナージャさんはそんなイギリスの小学校に次第に馴染んでいくが、すぐにパリに引っ越すことになった。パリの小学校では机が向かい合わせに円や四角になって、真ん中に先生が入って授業をするスタイルだった。おしゃべり好きなフランス人は子どもの頃からなのか、教室では「議論することが良し」とされる文化だった。

■まるで「小さな国連」 あさがお育てにも一波乱

「(円状に座るのは)みんなと喋りやすくて、まるで小さな国連のようでした。色んな国から来ている生徒も多くて『私は何者なのか』『何を信仰するのか』といったことも度々議論になりました。私の家は無宗教でしたが、なぜそうなのかは考えたことがなかった。でも、ディスカッションを通して自分がどんな国から来て、どんな思考タイプなのかを考えるきっかけになったんです」

たとえ言葉を話せたとしても、主張したいことがなければコミュニケーションを取ることはできないと気付いたのは、この時だったという。とにかくパリの小学生は、よく喋る。政治や信条だけではなく、こんなことでも議論が巻き起こった。

「フランスのがっこう」の教室 (c)Jun Ichihara

「あさがお一つ育てるのでも、どう育てるのか話し合うように言われるんです。土に埋めて水をあげれば育つと思っていたけれど、『ちょっと待った!』と言う人が出てくる。『ティッシュにくるんで発芽させてはどうか』『土に水をかけてから種を入れるか、種を入れてから水をかけるか』なんて風に話し合うんです。育て終わったら、どこが良かったかをまた議論する。もちろん、枯れてしまった時は厳しいことも言われます。でも、それを含めて成長していくんですね」

議論が白熱すれば、そこは小さな子ども、時々けんかだって起きる。そんな時は、先生が間に入り、まるで会議を円滑に進めるためのファシリテーターのように流れを取り戻す。共に教え合うことが良いとされていた「イギリス式」からガチンコ勝負の「パリスタイル」への変化には、ナージャさんも戸惑ったという。

パリでビシバシと鍛えられた半年を経て、ナージャさんは東京に引っ越した。協調、議論の国を経て、日本で感じたのは「平等」が大切だということだった。

「みんなが同じ方向を向いて、授業を受けるのが日本式です。『みんなに平等』な机の配置ですよね。自己主張をせず、和を乱さず、溶け込むことが良いとされているのだと感じました。先生は私が教室に慣れることを期待していなくて、ただ席に座っていればそれで良いという感じ。先生が一方的に話すので、生徒は注目されていないような気がします。日本の小学生がフランスの座席で議論を求められたら、きっと困ってしまうでしょう」

そして1年後、小学校5年生になったナージャさんはアメリカ・ウィスコンシン州に引っ越す。ミシガン湖など五大湖に面する自然豊かなこの場所で、「自由の国」の洗礼を受ける。

■アメリカは自由で何でもあり! でも、大変だった

「教室はフランスと同じく円状で向かい合わせになるスタイルでしたが、その中にふかふかのソファが置いてあった。まるでリビングのようでした。算数などのプリントに書き込む時は机を使いますが、社会や英語はソファに座って読み聞かせのような授業です。ソファスタイルはいいですよ。リラックスできるし、勉強感がないので、みんな引き寄せられていく。先生とのコミュニケーションも取りやすいです。リラックスゾーンと集中ゾーンといった感じでメリハリもあって良かったです。『どこで何をやるか、どうすれば人は動くのか』と、先生のファシリテーション能力も問われていたかもしれません」

「アメリカのがっこう」の教室 (c)Jun Ichihara

ナージャさん曰く、アメリカは「すごく自由で、何でもあり」の国。ガムを噛んでもいいし、給食を残してもいい。しかし、その分ちゃんと主張もしなければならなかった。

「フランスとは少し違い、自発的に話さなければいけませんでした。お題があっても、先生はわざわざ『どう思う?』と話を振ってはくれません。私は主張するのが苦手だったので、すごく怒られたし、苦労しました」

そして、小学6年生になり、再び東京へと引っ越した。ナージャさんはこれまで5カ国の教室を見てきたが、日本の教室は机の配置など、ロシアの教室と少し似ているという。さらに、こんなことも。

「ロシアのがっこう」の教室 (c)Jun Ichihara

「日本もロシアも規則やルールがしっかりしていますよね。『これはこういうものである』と決めれば、そこから頑としているように思います。それに、政治や宗教の話がタブーのようになっている点もロシアと似ているかもしれません。フランスは違う宗教を持った人がたくさんいるから、理解しあう必要がある。でも、日本とロシアはその必要がなかったのかもしれません」

■結局、一番「面白い」教室は?

5カ国の小学校を経験したナージャさんだが、もちろん、その国の全ての教室がまるっとこの通りだというわけではない。時代や州が変われば変化することもある。事実、ナージャさんが通っていたアメリカの小学校は、現在、イギリス式「グループワーク」になっているという。

「その時々で子どもたちに何を教えたいのか、どう育ってほしいのかで教室も変わっていく。一方で、日本の教室には変化がないですよね」

そう言われてみれば……。いつ訪れても「これこれ」「懐かしい」とノスタルジックな気持ちを抱かせてくれるのが日本の教室だ。その意味で、教室に“進化”がないのかもしれないが、一方で「一番面白いのも日本の教室」とナージャさんは笑みをこぼす。

「机を一番自由に動かせるのが日本です。実は他の国では、机が固定されていたり重かったりするのでほとんど動かさない。だから、日本の教室はどの教室にでもなれる可能性を秘めています。でも、そんな自由さを生かしている教室はあまりないように思います」

「にほんのがっこう」の教室 (c)Jun Ichihara

確かに、記者が6年間通った小学校では5教科の授業でグループワークやディスカッションをしたことはなかった。先生の話を聞き、ノートを取り、教科書に線を引いた記憶ばかりが残っている。

「たとえば日本では私が授業についていけず、困っていても気にかけてはくれなかったんです。ですが他の学校は違って、注意深く見てくれる。ある意味、日本はシビアです。教える側も『同じであること』が大切なんですね」

先生が一番重視しているのは誰にも「平等」であること。ナージャさんは日本でそう感じ取ったという。そして、こんな経験も。

「一人だけ髪の色が違うと悪影響になるからと染めるように言われたことがありました。フランスで培ったディスカッション力で『校則には染髪はダメだとあります』と切り抜けましたが……。でも、爪の長さも決まっていて、一度白い部分を残していたら『あなたが切らないとクラスの評価が下がります』と連帯責任になったり。でも、爪の白い部分を残してなぜダメなのか、その理由は教えてもらえない。日本には規則がたくさんあるし、それ自体が悪いことではありません。ですが、なぜそのルールなのかの理由がはっきりしない。もしかすると先生も分からなくて、暗黙の了解みたいになっているから気付いていないのでは」

目の前にあるもの、定められたルールを当たり前だと受け入れることは“日本式正解”のようにも思えるが、その意識を変えるきっかけは「教室」に潜んでいるのかもしれない。(AERAdot.編集部・福井しほ)

■キリーロバ・ナージャ
ソ連(当時)レニングラード生まれ。数学者の父と物理学者の母の転勤とともに、6カ国(ロシア、日本、イギリス、フランス、アメリカ、カナダ)の各国の地元校で教育を受けた。電通に入社後、様々な広告を企画。「Sound of Honda/Ayrton Senna 1989」で国内外の賞を100以上受賞。2015年、世界のコピーライターランキング1位に。その背景にあった世界の多様でアクティブな教育のことをコラムとして連載し、キッズデザイン賞も受賞。「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」設立。好きなものはゾウと冒険。

情報源: 「国民性は小学校の教室から作られている」5カ国の小学校を渡り歩いた女性が語る日本の可能性とは? (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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