日本の歴史を天皇抜きに語ることはできない。古代から現代へと国の中での位置づけを変えながら、天皇家は途絶えることなく続いてきた。改元を機に太平洋戦争の敗戦で「国民統合の象徴」になるまでの歴史を一望する。
■古代の天皇、実在めぐり論争続く
「日本書紀」などに記載があり、初代と伝えられるのが神武天皇。だが、2世紀ごろまでは神話の域を出ない。古代の天皇については戦後、実在性や在位期間について論争が続いている。
大王(おおきみ)の時代を経た7世紀、645年の大化の改新で本格的な中央集権国家の建設が始まった。初めて「天皇」を自称したのは天武天皇とする説が有力だ。
平安時代に入ると天皇に代わって貴族が実権を握り、摂関政治の時代となる。鎌倉時代以降は武家が政治を支配したが、天皇が歴史から排除されることはなく名目上の統治者として存続した。
明治政府は大日本帝国憲法で天皇を主権者に位置づけた。太平洋戦争の敗戦後、日本国憲法は政治的権能を否定し、天皇は「国民統合の象徴」となった。
■退位は59例、上皇さまは200年ぶり
歴史上、退位した天皇は太上天皇(上皇)と呼ばれた。大化の改新を機に弟に皇位を譲った皇極天皇が最初とされる。宮内庁によると、歴代天皇のうち存命中の退位は上皇さまを含め59例。上皇さまの退位は1817年の光格天皇以来、約200年ぶりとなった。
江戸時代の皇位交代の儀式を描いた絵図。宮廷行事を記録するため明治時代に編さんされた「公事録附図」より=宮内庁書陵部提供過去には上皇が天皇に代わって実権を握る「院政」を敷いた時期もあった。天皇に政治的権能のない現憲法下では院政のような弊害は起こらないが、新天皇よりも国民に長く敬愛されてきた上皇さまに親しみが集まることで「権威の二重化」を懸念する専門家もいる。
退位の儀式は、9世紀に編さんされた宮廷儀式書「貞観儀式」などに基づき執り行われてきた。政府は天皇の国政関与を禁じた憲法に抵触しないように配慮し、今回の儀式の内容を決めた。
■女性天皇は10代8人
歴代天皇には女性もいた。初めての女性天皇は6世紀末に即位した推古天皇。再び皇位に就いた2人を含め、飛鳥、奈良と江戸時代に計10代8人の女性天皇が誕生した。
皇室典範に関する有識者会議では女性・女系天皇を認める報告書がまとめられた(2005年11月)全員が天皇の皇女で男系。女性天皇や母方が天皇の血筋を引く「女系天皇」が即位したことはない。男系男子に皇位が継承されるまでの中継ぎだったとの説が有力となっている。明治時代に制定された旧皇室典範は皇位継承者を「男系男子」に限ると定め、現行の皇室典範にも同様の規定が引き継がれた。
男性皇族が減少する中、小泉政権が設置した「皇室典範に関する有識者会議」は2005年11月、女性・女系にも皇位継承を認める報告書をまとめた。翌06年9月に秋篠宮家の長男、悠仁さまが生まれたこともあり、制度化には至っていない。
■戦後に11宮家、51人が皇籍離脱
皇族で宮号を持つ家を「宮家」と呼ぶ。現在は秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家の4つがあり、天皇家を支えながら皇室の公務を担っている。
鎌倉時代の亀山天皇の皇孫、全仁親王に始まる常磐井宮が現在の宮家制度につながる前身とされる。その後、皇位継承者を確保するため世襲宮家が必要となり、江戸時代には伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮が世襲親王家となった。
明治時代には皇室の繁栄を目的に新たな宮家の創設が相次いだが、敗戦後の1947年に11宮家の51人が皇籍を離脱し、一般国民となった。
現在の宮家では秋篠宮家と常陸宮家にしか男性皇族がいない。民間人と結婚した女性皇族は皇籍を離れることになり、将来は現状の公務が維持できなくなる恐れがある。