匿名マーケティング|itmedia

2023年10月09日 08時00分 廣瀬涼

 膨大な情報があふれる現代消費社会。
本当は自分が気に入る商品かもしれないのに、過去の購買経験や他人の口コミが「先入観」を生み出し、購買のフィルターになっている──。
最近、そんな先入観を逆手にとった興味深いマーケティング事例を2件、目にした。

 まずは、新宿南口に登場した「極麻辣麻婆豆腐飯店」を紹介しよう。
ちまたでは“第4次激辛ブーム”を迎えたともいわれる中、同店は9月4日~10日の期間限定でオープン
厚みのある味わいの「赤花椒」とさわやかな香りの「青花椒」、独自の辣油を使用した「極麻辣麻婆豆腐」を提供していた。


極麻辣麻婆豆腐定食=味の素のニュースリリースより

 驚くことに、メニューはこの「極麻辣麻婆豆腐定食」のみ。
しかも、ある市販の合わせ調味料を使っていた。
突如現れた本格麻婆豆腐専門店は、ふたを開けてみれば市販の合わせ調味料のプロモーションの一環だったのだ。

 X(旧Twitter)では、ハッシュタグ「#極麻辣麻婆豆腐飯店」「#ある市販の合わせ調味料」を付け、予想した答えを投稿した来店者に、杏仁豆腐がプレゼントされていた。

 そして9月6日、この謎に包まれた麻婆豆腐専門店はベールを脱ぐことになる。
味の素が「Cook Do」シリーズの新商品「Cook Do」<極(プレミアム)麻辣麻婆豆腐用>を使用していると発表した。

 オープン当初、SNSでは本格的な麻婆豆腐が食べられることを期待する投稿が目立っていたが、正体が発表されると「あのCook Doで本格中華が本当に食べれるのか?」といった、自身の先入観とCook Doの違いに期待する投稿も増えていった。


味の素が発売した「Cook Do」<極(プレミアム)麻辣麻婆豆腐用>

 多くの日常的に消費される商品は、自身の購買経験によって、自身がひいきにするブランドが固定されていく。
特に食品は好みが分かれるため、過去の経験で「この商品は買うまでもない」「ブランドAよりはブランドBが好み」と、自身の中で商品のポジショニングができてしまうと、なかなか他の商品にスイッチしづらい。
あまり自炊をしない層や、そもそも合わせ調味料を普段から使わない層にとっては、日常生活で新しい合わせ調味料と接点を見い出すことは困難だろう。

 味の素のプロモーションは、消費者に「匿名」だからこそ、先入観なく味を評価してもらう機会や、普段合わせ調味料で作った麻婆豆腐を口にしない層にCook Doを食べてもらう機会を作った。
先入観があって距離が遠のいている消費者に対して、固定概念を一新してもらう接点を生んだといえるだろう。

 もう1つの事例は「匿名宝飾店」だ。

 9月8日、東京・表参道に、期間限定のジュエリーショップ「匿名宝飾店」がオープンした。
最大の特徴は「匿名」であることだ。
ブランド名からではなく、自身の経験を基に先入観なくジュエリーを好きになってほしい、という思いから企画されたそうだ。

 店内では、自分の指のサイズやパーソナルカラーに合うジュエリーを知るためのカルテを作成。
好きな指輪を試着し、ミニチュアを背景に撮影できる「フィンガーフィッティングルーム」や、気に入ったジュエリーを選んで撮影できる「ジュエリービュッフェ」など、そのブランドの先入観なく、目の前にあるジュエリーと向き合える体験が待っていた。


原宿にオープンした「匿名宝飾店」=4℃のニュースリリースより

 この匿名宝飾店も9月20日にそのベールを脱いだ。
正体は「4℃(ヨンドシー)」であることが公表されたのだ。

 4℃といえば、SNSでは批判的な意見も目立つ。
自分がいくら好きなブランドでも、他人の批判的な声が大きいと、好きなブランドだとは言いづらくなってしまう。
他人の批判的な意見が流れてくるだけならまだしも、リプライや引用リポスト、DMを通して心ない批判や中傷を受ける人もいる。

 このように、ブランドに対するアンチ的な考え方がまん延すると、そのブランドを持っていることは恥ずかしい、そのブランドをプレゼントされることを素直に喜んではいけない、といった風潮が生まれる。
自身がそのブランドに対してどう思うかではなく、他人がそのブランドをどう思っているのかが、ブランドを選ばない理由になってしまう。

 匿名宝飾店の店内には「ブランドの看板に感じる緊張感から自由になれば、ジュエリーと向き合う時間はきっと楽しいものになる。」
というメッセージが書かれている。

 日本経済新聞の報道によると、ブランド名を公表する前に実施した来場者アンケートでは、83%が「4℃のイメージが(好意的に)変わった」と回答。
「(運営ブランドが)4℃とは意外だった」と答えた人も78%にのぼったそうだ。

SNSの批評を見て、自分の価値観が揺らぐ

 スワイプ時代と呼ばれるように、私たちは指先一つで何が必要な情報で、何が不必要な情報か取捨選択している。
情報収集や活用が得意な「情報強者」が得をする社会でもあり、特に消費活動では、情報を持っていることで、消費によって生まれる損を回避することにつながる。

 失われた30年によって景気は下を向き、所得は上昇せず、それなのに物価は上昇、税金は増えるばかりだ。
使えるお金に余裕がないにもかかわらず、昔よりも圧倒的に情報量は多い。
情報が多いことは、興味を持つきっかけ=消費したいと思うきっかけも多いことを意味しており、現代の消費者にとっては「使えるお金は十分にないのに、目の毒な情報があふれている」といえる。

 私たちは、自身の経験則からその商品を評価し、買うかどうかを決める。
「あの商品の味まあまあだったな」「あのブランドの服はあまり好みじゃないんだよな」というように、たった1度の経験が今後の購買行動の指標になってしまうのである。

 あわせて一つ一つの消費行動の前に、SNSの口コミ、レビューサイト、インフルエンサーの投稿など、他人が消費した結果を熱心に参照し、「自分がわざわざそれを消費する必要があるのか」を検討する。
そうした情報は、その商品を購入した消費者=他人が抱いた使い心地やイメージなども含んだものだ。
そのため、他人の投稿は、情報の受け手に商品やサービスのスペックや実際の使用感といった情報だけでなく、イメージや先入観を持たせる要因にもなるのである。

 自分自身は、そのブランドが好きでも、SNSで他人がそのブランドを批評しているのをみると、自分の価値観を疑うきっかけとなりかねない。
例えば自分がひいきにしているブランドに対して、影響力のあるユーザーが「あのブランドはダサい」と投稿していて、多くの「いいね」やコメントが付いていると、自分の考えは少数派のように見えてしまう。

 X(旧Twitter)でいえば、一般に「バズった」とされる基準は、1~3日の短期間で1万以上のリポストと「いいね」を獲得するのが目安とされているようだ。
実際にそのような考えを持っている人が全体のたった数パーセントだったとしても、その投稿へのリポスト数が1万を超えていたら「すごくバズっている」「共感されている」と錯覚してしまっても致し方がない。

 日本の人口をざっと1億人としても1万人は0.01%にすぎず、SNSの外の世界に目を向ければ「大多数」とはいえないだろう。
しかし、この「大多数から共感されている」という錯覚は、自身の価値観やプライオリティに疑問を生むには十分すぎる要因になる。

 今回紹介した事例は、そうした先入観によって商品やブランドへの評価が正しく行われないことを逆手にとったマーケティングといえる。
匿名ということ自体が話題性を呼び、広くプロモーションがリーチする利点もあるが、匿名だからこそ消費者が目の前の商品やブランドと向き合い、他人の意見にとらわれず、いいモノはいい、好きなモノは好きと自身の感性に正直になれる──そんな体験が大きなポイントだと考える。

情報源: Cook Do、4℃……正体隠した「匿名」マーケ 背景に「SNSで揺らぐ価値観」:廣瀬涼「エンタメビジネス研究所」(1/3 ページ) – ITmedia ビジネスオンライン

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